あいざわ・たかお
1947年長野県松本市生まれ。73年東京慈恵会医科大学卒業後、信州大学医学部附属病院勤務(内科学第二講座)を経て、88年社会福祉法人恵清会理事長。94年特定医療法人慈泉会 相澤病院理事長・院長就任。2008年社会医療法人財団 慈泉会相澤病院理事長・院長。17年に院長を退任し、現在は社会医療法人財団慈泉会理事長、相澤病院最高経営責任者。同年日本病院会会長。
「昭和の時代のように、大勢の人が工場で同じ仕事をしていたときと今は全然違う。これを早く変えないと、日本は世界一立ち遅れた国になってしまう」と警鐘を鳴らすのは日本病院会会長で長野県松本市にある相澤病院の最高経営責任者・相澤孝夫氏。相澤病院が含まれる長野県3市5村で形成する「松本モデル」がなぜ機能しているのか。そのポイントは連携だ。同時に、日本の医療制度自体が後れをとる。相澤氏が提言する新たな医療の形とは?
救急車のたらい回しも頻発 バラバラだった松本市の医療
─ 連携の好事例と言われる「松本モデル」を構築するきっかけは何だったのですか。
相澤 松本モデルは自然に今のような形になったというのが正しいと思います。ただ、相当前に県の医療の提供体制が整っておらず、それを何とかしようという流れができました。各地域に地域基幹病院という中心になる病院をつくって、その病院を中核にした地域の医療を構築
していこうという構想です。
この構想が形を変えてできたのが、地域で必要な医療を確保し、地域の医療機関の連携等を図る観点から、かかりつけ医などを支援する医療機関を指定する「地域医療支援病院制度」です。この1997年にできた「地域医療支援病院」とは、地域で小さな病院や診療所とで役割
分担をして連携することで、地域の医療を守っていく機能を持つ病院になります。
この頃の松本地域では、皆がバラバラで医療を提供していました。しかし、今のままでは、将来やっていけなくなるという危機感もありました。同時に、救急医療がなかなかうまく機能しておらず、救急車が病院に断られてたらい回しになるという事例が起こっていたのです。
これを何とかしなければいけないということで、地域の病院が役割分担と連携をしなければならないという考え方の下で、地域の救急医療体制をどうしようかというところから議論が始まったのです。
それを何年か重ねていくうちに、お互いの医療機関ごとに役割分担が分かってきて、救急もお互いに役割分担していこうと。総合的な病院でいろいろな科があって、いろいろな病気を診られる場合はいいですが、中規模病院だと、例えば外科は診られるけれども、整形の救急の患者さんは診られないという事情もあると。そこで曜日ごとに診療科を分担してやっていく仕組みをつくったのです。
─ 30年近くかかったようですね。
相澤 それくらいの時間はかかりましたね。さらに救急医療を含む一般的な入院治療が完結するように設定した「2次医療圏」の中にある市町村といった行政も加わるべきだということで、行政はもちろん、救急隊を担う広域消防にも加わっていただきました。そこで、松本エリ
アの医療をどうしていくのかを皆で話し合ってきました。議論していく中で、いろいろな解決策を講じてきましたね。
例えば、ある病院では当直の内科の医師があまりいないと分かると、その病院は内科の救急には対応できないと分かりますので、内科の救急医療から外れていただき、そこは他の病院が担うという調整がお互いの話し合いの中でできるようになっていきました。ここが大きなとこ
ろだったと思います。
─ こういった事例を全国でも広げていくための知恵はありませんか。
相澤 やはり皆さんが口を揃えて言うのは、誰が音頭をとるかということです。先ほど申し上げたように、我が国では誰かが音頭をとって旗を振ったからといって、うまくいくわけではないということです。
ただ、誰がトップになって仕切るかということよりも、そういう場をつくることが大事です。そのときに重要なのが、どの地域範囲で医療体制をつくるのかで違ってくるということです。
【新型コロナ】塩野義製薬社長が語る「国産ワクチン・治療薬メーカーの役割」
新規感染者の1・6%が重症化
─ この重症者の定義も一般的に知られているものと違いがあると聞きます。
相澤 重症者は重症の病床に大体平均1カ月間、入院しています。そうすると入院日数は30日です。一般的に言われているのは、新規の感染症患者さんの大体1・6%くらいが重症化すると言われています。これが「重症化率」と言われるものです。
すると、例えば毎日平均で1000人の患者さんが新たに感染したとします。そうすると、重症者の患者さんがどれくらい出るかというと、その1・6%。つまり、16人です。16人×30日で480床が必要なベッド数だと計算できます。
この計算を基に、新規の患者さんの発生数がフェーズ1で100人であれば、100人×1・6%× 30 で、5床で済むということにな
ります。フェーズ1の期間はそれだけのベッド数を用意しておけば良いと。もし、フェーズ2が毎日500人だとすると、500人×1・6%×30のベッドを準備すればいいというわけです。
しかし、このようにベッド数を増やしていくと、どこかの時点で一般の重症者を診るベッドを極端に制限しなければならなくなる局面が来ます。医療崩壊が起きてしまうのです。
そうなったときに私が言っているのは、他の県に患者さんをお願いする。あるいは災害時であれば、自分の病院で診ている感染症以外の重症の患者さんを他に移し、感染症用のベッドを空けるという都道府県ごとに連携をする必要があるということです。
─ 地域での連携だけでなく、都道府県をまたいだ連携も必要ですね。
相澤 そういうことです。そういう面で見ていくことが必要です。都道府県単位で、人口10万人当たりで用意した重症者を診ることのできる既存病床数のうち、何%を感染症のために使ったかというデータを見ると、東京都や大阪府は50%を超えています。
当然、現場はパンクしているということです。一般の重症者を診られなくなるわけですからね。それだけ一気にコロナの重症者が広まったということです。
一方で、沖縄県は十数%です。重症者のために使える病床数の十数%が感染症の患者さんに使えるということを意味しています。ということは、もともと病床をきちんと用意しておけば、簡単には50%を超えないということです。
したがって、東京都や大阪府は平時における重症者用のベッド数の準備が足りなかったということになります。一般病床数については分かりませんが、重症者のベッド数では明らかにそういう傾向が出てきているのです。
もともと準備が足りないわけですから、コロナの重症者が増えれば、すぐに一般医療が圧迫されます。ですから、一般の患者さんのたらい回しが起きてしまうのです。
─ 平時からの事前の準備が緊急時の対応にも影響すると。
相澤 はい。事前の準備を皆で話し合ってしっかりと決めておいて、それをしっかりと守る。そして感染症の広がり具合によって段階的にベッド数を増やしていけばいいし、減ってくれば段階的に減らしていく。再び感染者数が増えたら段階的に増やしていけばいいのです。その柔軟性こそが重要になってきます。
会員数2487病院(2021年8月時点)が加入している日本病院会(写真は同会ビルの外観)
─ コロナ対応もさることながら、日本の医療制度全体を考えれば、団塊の世代が後期高齢者に入ってくるなど、持続可能のある医療制度が不可欠です。
相澤 そうですね。75歳以上の人口が増えてくるのが、2023年くらいから始まり、25年あたりがピークになると思います。75歳以上の方でも元気な方は元気です。年齢で区切るのはどうかという意見もあります。
その人の日常生活動作や運動能力によって最良のケアが変わるなど、均一に対応するよりも分けて考えた方が効率的かもしれません。また、医療現場での働き手が減っていく問題もあります。70歳を超えても働いてもらった方が社会全体としては助かるわけです。
─ 企業でも60歳を超えても働く人は当たり前で、70歳を過ぎても再雇用することが流れになっています。
相澤 65歳以降の定年延長を70歳から75歳までやった方がいいと思います。シニアの方々も働いていた方が健康を保てるようですし、年をとってくれば若い人のようにがむしゃらに働くことはできないと思いますが、1日3時間程度でも働いていただければ大変助かります。
そういった力を活用した方がいいと思います。今の医療体制は医療も労働もお金の工面で豊かだった頃にできた制度です。昭和初期の頃の制度をずっと引きずっています。
今は肉体労働者はほとんどいません。ほとんどが知識労働者であって、一人ひとりが経営者のように、自分の知識を皆に使ってもらうようにしています。知識は一人ひとりで違いますし、一人ひとりも強いところや弱いところがある。
一人ひとりの労働のアウトプットも質・量共に違います。一人ひとりに応じた労働となれば、一律平均労働時間が8時間というのもおかしくなります。能力のある人が4時間で仕事を終えれば労働時間も4時間でいいわけです。その代わりに8時間働いたら倍の給料を支払う。
あるいは、8時間の労働で給料は8割になるというケースがあっても、自分の身体は丈夫なので10時間働きますという人がいれば、10時間働いてもらえばいい。そういう制度が必要なのではないでしょうか。
やらなければならないことは、健康管理をきちんと行い、精神的な問題が起こらないようにケアしながら、できる範囲でやると。個人差があるのは当然です。それを金太郎飴のように一律で区切ろうとするから歪みが出るのです。
中外製薬のコロナ治療薬が軽・中等度向けで初の承認
これからの医療体制の在り方
─ 労働法制も見直す必要があるということですね。
相澤 昭和時代の大勢の人が工場で同じ仕事をしていたときと、今は全然違いますからね。これを早く変えないと、日本は世界一立ち遅れた国になってしまいます。海外でも優秀な人は早く自分の仕事を終えて、残った時間を自分のやりたいことに使おうとします。自由度がなけ
れば誰も日本に来てくれません。
医療界でも医師が病院から病院へ移動する時代になっています。それは当たり前です。これからは働く先をどんどん移動していく時代になっていくのです。そういう時代になるのですから、それに即応した制度を考えなければなりません。
いずれにせよ、いろいろなことを合理的にやっていく必要があります。データがきちんと揃っているならば、そのデータをきちんと使って、合理的に誰にでも説明ができるようにしていかなければなりません。
ですから私はデータをきちんと使い、そのデータに基づいて、こういう方向が正しいのではないかと考えることが大事だと思うのです。そうすれば、もう少しスリムで筋肉質な医療を実現できるのではないかと思っています。
なぜ「松本モデル」はうまく機能しているのか?【日本病院会:相澤孝夫会長】
1947年長野県松本市生まれ。73年東京慈恵会医科大学卒業後、信州大学医学部附属病院勤務(内科学第二講座)を経て、88年社会福祉法人恵清会理事長。94年特定医療法人慈泉会 相澤病院理事長・院長就任。2008年社会医療法人財団 慈泉会相澤病院理事長・院長。17年に院長を退任し、現在は社会医療法人財団慈泉会理事長、相澤病院最高経営責任者。同年日本病院会会長。
「昭和の時代のように、大勢の人が工場で同じ仕事をしていたときと今は全然違う。これを早く変えないと、日本は世界一立ち遅れた国になってしまう」と警鐘を鳴らすのは日本病院会会長で長野県松本市にある相澤病院の最高経営責任者・相澤孝夫氏。相澤病院が含まれる長野県3市5村で形成する「松本モデル」がなぜ機能しているのか。そのポイントは連携だ。同時に、日本の医療制度自体が後れをとる。相澤氏が提言する新たな医療の形とは?
救急車のたらい回しも頻発 バラバラだった松本市の医療
─ 連携の好事例と言われる「松本モデル」を構築するきっかけは何だったのですか。
相澤 松本モデルは自然に今のような形になったというのが正しいと思います。ただ、相当前に県の医療の提供体制が整っておらず、それを何とかしようという流れができました。各地域に地域基幹病院という中心になる病院をつくって、その病院を中核にした地域の医療を構築
していこうという構想です。
この構想が形を変えてできたのが、地域で必要な医療を確保し、地域の医療機関の連携等を図る観点から、かかりつけ医などを支援する医療機関を指定する「地域医療支援病院制度」です。この1997年にできた「地域医療支援病院」とは、地域で小さな病院や診療所とで役割
分担をして連携することで、地域の医療を守っていく機能を持つ病院になります。
この頃の松本地域では、皆がバラバラで医療を提供していました。しかし、今のままでは、将来やっていけなくなるという危機感もありました。同時に、救急医療がなかなかうまく機能しておらず、救急車が病院に断られてたらい回しになるという事例が起こっていたのです。
これを何とかしなければいけないということで、地域の病院が役割分担と連携をしなければならないという考え方の下で、地域の救急医療体制をどうしようかというところから議論が始まったのです。
それを何年か重ねていくうちに、お互いの医療機関ごとに役割分担が分かってきて、救急もお互いに役割分担していこうと。総合的な病院でいろいろな科があって、いろいろな病気を診られる場合はいいですが、中規模病院だと、例えば外科は診られるけれども、整形の救急の患者さんは診られないという事情もあると。そこで曜日ごとに診療科を分担してやっていく仕組みをつくったのです。
─ 30年近くかかったようですね。
相澤 それくらいの時間はかかりましたね。さらに救急医療を含む一般的な入院治療が完結するように設定した「2次医療圏」の中にある市町村といった行政も加わるべきだということで、行政はもちろん、救急隊を担う広域消防にも加わっていただきました。そこで、松本エリ
アの医療をどうしていくのかを皆で話し合ってきました。議論していく中で、いろいろな解決策を講じてきましたね。
例えば、ある病院では当直の内科の医師があまりいないと分かると、その病院は内科の救急には対応できないと分かりますので、内科の救急医療から外れていただき、そこは他の病院が担うという調整がお互いの話し合いの中でできるようになっていきました。ここが大きなとこ
ろだったと思います。
─ こういった事例を全国でも広げていくための知恵はありませんか。
相澤 やはり皆さんが口を揃えて言うのは、誰が音頭をとるかということです。先ほど申し上げたように、我が国では誰かが音頭をとって旗を振ったからといって、うまくいくわけではないということです。
ただ、誰がトップになって仕切るかということよりも、そういう場をつくることが大事です。そのときに重要なのが、どの地域範囲で医療体制をつくるのかで違ってくるということです。
【新型コロナ】塩野義製薬社長が語る「国産ワクチン・治療薬メーカーの役割」
新規感染者の1・6%が重症化
─ この重症者の定義も一般的に知られているものと違いがあると聞きます。
相澤 重症者は重症の病床に大体平均1カ月間、入院しています。そうすると入院日数は30日です。一般的に言われているのは、新規の感染症患者さんの大体1・6%くらいが重症化すると言われています。これが「重症化率」と言われるものです。
すると、例えば毎日平均で1000人の患者さんが新たに感染したとします。そうすると、重症者の患者さんがどれくらい出るかというと、その1・6%。つまり、16人です。16人×30日で480床が必要なベッド数だと計算できます。
この計算を基に、新規の患者さんの発生数がフェーズ1で100人であれば、100人×1・6%× 30 で、5床で済むということにな
ります。フェーズ1の期間はそれだけのベッド数を用意しておけば良いと。もし、フェーズ2が毎日500人だとすると、500人×1・6%×30のベッドを準備すればいいというわけです。
しかし、このようにベッド数を増やしていくと、どこかの時点で一般の重症者を診るベッドを極端に制限しなければならなくなる局面が来ます。医療崩壊が起きてしまうのです。
そうなったときに私が言っているのは、他の県に患者さんをお願いする。あるいは災害時であれば、自分の病院で診ている感染症以外の重症の患者さんを他に移し、感染症用のベッドを空けるという都道府県ごとに連携をする必要があるということです。
─ 地域での連携だけでなく、都道府県をまたいだ連携も必要ですね。
相澤 そういうことです。そういう面で見ていくことが必要です。都道府県単位で、人口10万人当たりで用意した重症者を診ることのできる既存病床数のうち、何%を感染症のために使ったかというデータを見ると、東京都や大阪府は50%を超えています。
当然、現場はパンクしているということです。一般の重症者を診られなくなるわけですからね。それだけ一気にコロナの重症者が広まったということです。
一方で、沖縄県は十数%です。重症者のために使える病床数の十数%が感染症の患者さんに使えるということを意味しています。ということは、もともと病床をきちんと用意しておけば、簡単には50%を超えないということです。
したがって、東京都や大阪府は平時における重症者用のベッド数の準備が足りなかったということになります。一般病床数については分かりませんが、重症者のベッド数では明らかにそういう傾向が出てきているのです。
もともと準備が足りないわけですから、コロナの重症者が増えれば、すぐに一般医療が圧迫されます。ですから、一般の患者さんのたらい回しが起きてしまうのです。
─ 平時からの事前の準備が緊急時の対応にも影響すると。
相澤 はい。事前の準備を皆で話し合ってしっかりと決めておいて、それをしっかりと守る。そして感染症の広がり具合によって段階的にベッド数を増やしていけばいいし、減ってくれば段階的に減らしていく。再び感染者数が増えたら段階的に増やしていけばいいのです。その柔軟性こそが重要になってきます。
会員数2487病院(2021年8月時点)が加入している日本病院会(写真は同会ビルの外観)
─ コロナ対応もさることながら、日本の医療制度全体を考えれば、団塊の世代が後期高齢者に入ってくるなど、持続可能のある医療制度が不可欠です。
相澤 そうですね。75歳以上の人口が増えてくるのが、2023年くらいから始まり、25年あたりがピークになると思います。75歳以上の方でも元気な方は元気です。年齢で区切るのはどうかという意見もあります。
その人の日常生活動作や運動能力によって最良のケアが変わるなど、均一に対応するよりも分けて考えた方が効率的かもしれません。また、医療現場での働き手が減っていく問題もあります。70歳を超えても働いてもらった方が社会全体としては助かるわけです。
─ 企業でも60歳を超えても働く人は当たり前で、70歳を過ぎても再雇用することが流れになっています。
相澤 65歳以降の定年延長を70歳から75歳までやった方がいいと思います。シニアの方々も働いていた方が健康を保てるようですし、年をとってくれば若い人のようにがむしゃらに働くことはできないと思いますが、1日3時間程度でも働いていただければ大変助かります。
そういった力を活用した方がいいと思います。今の医療体制は医療も労働もお金の工面で豊かだった頃にできた制度です。昭和初期の頃の制度をずっと引きずっています。
今は肉体労働者はほとんどいません。ほとんどが知識労働者であって、一人ひとりが経営者のように、自分の知識を皆に使ってもらうようにしています。知識は一人ひとりで違いますし、一人ひとりも強いところや弱いところがある。
一人ひとりの労働のアウトプットも質・量共に違います。一人ひとりに応じた労働となれば、一律平均労働時間が8時間というのもおかしくなります。能力のある人が4時間で仕事を終えれば労働時間も4時間でいいわけです。その代わりに8時間働いたら倍の給料を支払う。
あるいは、8時間の労働で給料は8割になるというケースがあっても、自分の身体は丈夫なので10時間働きますという人がいれば、10時間働いてもらえばいい。そういう制度が必要なのではないでしょうか。
やらなければならないことは、健康管理をきちんと行い、精神的な問題が起こらないようにケアしながら、できる範囲でやると。個人差があるのは当然です。それを金太郎飴のように一律で区切ろうとするから歪みが出るのです。
中外製薬のコロナ治療薬が軽・中等度向けで初の承認
これからの医療体制の在り方
─ 労働法制も見直す必要があるということですね。
相澤 昭和時代の大勢の人が工場で同じ仕事をしていたときと、今は全然違いますからね。これを早く変えないと、日本は世界一立ち遅れた国になってしまいます。海外でも優秀な人は早く自分の仕事を終えて、残った時間を自分のやりたいことに使おうとします。自由度がなけ
れば誰も日本に来てくれません。
医療界でも医師が病院から病院へ移動する時代になっています。それは当たり前です。これからは働く先をどんどん移動していく時代になっていくのです。そういう時代になるのですから、それに即応した制度を考えなければなりません。
いずれにせよ、いろいろなことを合理的にやっていく必要があります。データがきちんと揃っているならば、そのデータをきちんと使って、合理的に誰にでも説明ができるようにしていかなければなりません。
ですから私はデータをきちんと使い、そのデータに基づいて、こういう方向が正しいのではないかと考えることが大事だと思うのです。そうすれば、もう少しスリムで筋肉質な医療を実現できるのではないかと思っています。
なぜ「松本モデル」はうまく機能しているのか?【日本病院会:相澤孝夫会長】