民間の力、国民のヤル気を掘り起こすとき
「時代の転換期の今こそ、民間の力を掘り起こすとき」と某IT大手の経営トップは語る。コロナ危機が2年近くに及び、さらに向こう1年は忍耐が強いられる状況の中、財政出動による各種対策の実行を望む声が強い。また、〝国民に寄り添う〟という形で政治の側からも、いろいろな手当を行う案が登場する。
今は大変な危機にあり、医療崩壊を防ぐための手立て、また自然災害から身を守る治水や堤防構築など、環境インフラ整備のための公共投資は必要。財政出動の役割も重いものがある。
ただ、同時に経済の主体は民間という中で、民間の持つ力、もっと言えば国民のヤル気を引き出す政策をこそが今、求められるのではないか。
昨年1月から始まったコロナ危機の中で、民間企業経営者の大半は自力で必死に生き抜こうとしている。事実、自動車を始め製造業やIT、デジタル関連の企業は増益を果たすところも少なくない。こうした企業の潜在力をさらに掘り起こすことが必要であろう。
一方、行動の自粛で飲食、宿泊、航空・陸上輸送などは需要激減で赤字が続く。そうしたサービス産業の倒産、あるいは廃業も増加しており、こうした苦境に立つ企業への支援も欠かせない。その意味で財政支援の要素も出てくるが、民間の活力をもっと生かせないか? という指摘である。
今回の自民党総裁選はコロナ禍の影響を大いに受けた。昨年9月に登場した菅義偉政権は当初、世論調査で7割台の支持率を持ってスタートしたが、年明け後、徐々に支持率が低下。さらに東京オリンピック・パラリンピック(7月23日―9月5日)を境に支持率が低下。8月に首相の地元・横浜市長選で首相が推す小此木八郎候補が敗北、自民党議員の間に不安がよぎる。
自民党当選3回生以下の若手の間で「このままでは選挙で戦えない」として、新しい政治の顔を求める声が高まってきた。
昨秋、麻生派、そして安倍晋三・前首相が所属する細田派の支援をバックに登場した菅首相だが、今夏以降の政治情勢の変化の中で派閥の支援が得られなくなった。無派閥の首相としては、ここで万事休す。
元々、政治は数の論理で動くし、派閥も必然的に生まれてくるわけだが、今回は派閥政治の限界を見せつけられることとなった。9月10日、総裁選への出馬を表明した河野太郎氏は自らが所属する麻生派の領袖・麻生太郎財務大臣の下へ何度も通い、出馬の『了承』を取り付けた。
しかし、麻生派の中には岸田文雄氏(岸田派の領袖)を推す動きもある。麻生派の中も割れている。若手を中心に河野氏を支持するものもいれば、同派の幹部・甘利明・自民党税制調査会会長は河野氏を推さず、やはり岸田氏の支持に回るといった具合。これは他の細田派や竹下派などでも同じ分裂状況が続く。
今回の総裁選について、「今は代替わりを求める声が強いとき。河野氏を推す声が強いのも、若手を中心に代替わりを求める機運が強いから」という見方。
現に世論調査でも河野氏を推す声が一番多い。2番手に岸田文雄氏、3番手に高市早苗氏という順。
世論の支持の内容を見ると、与党、野党のそれぞれの支持を除く浮動層は3割以上と言われる。浮動層は若い世代に多く、この世代が若返りをのぞむ原動力になっている。今の政治がこうした声をどこまで拾えるかという今日的課題である。
リーダーの真価が問われている
大事なことは、政治リーダーが国の針路を巡り、大きな国のビジョンを示せるかどうかという視点を忘れてはならない。冒頭、民間の力、国民のヤル気を掘り起こすときと記したのも、若い世代を中心に自力、あるいは自立・自律の考えが非常に強くなっているということ。
世界に目を転ずれば、同じパンデミックの中にいて、米国は年率7%、欧州は4・8%と高い経済成長を遂げているが、日本は2%台という低い成長。思い返せば、1989年(平成元年)、ベルリンの壁が崩壊し、旧ソ連や東欧などの社会主義体制が崩壊、日本は90年代初め、バブル経済が崩れ、〝失われた20年〟の時代に入る。
GDP(国内総生産)は、500兆円程度でずっと推移、物価も低迷し、デフレ状況が依然続く。低成長、ゼロ金利・マイナス金利というデフレ現象は令和の時代を迎えて基本的に続いており、まさに〝失われた30年〟という状況。
こういう中にあって「リーダーはまず、自分の考える日本再生の道筋を示すとき。有り体に言えば、自分のやりたいことを言えと言いたい」と識者は語る。
経済政策では、河野氏は「企業から個人へ」と労働分配率を一定水準以上にした企業に法人税での特例措置を行うと表明。高市氏はサナエノミクスを掲げ、積極的財政出動によるリフレ策。岸田氏は『格差是正』、『中間層への配分』を訴える。国のカタチをどう構築し、国民のヤル気を掘り起こしていくか、大事なときである。
こういう時の経済人の役割とは何か?
もちろん自立の道が要求されるが、デジタル化の遅れ、コロナ対応での医療崩壊という国家的課題について、「経団連、経済同友会、そして商工会議所など経済団体も政策立案で積極的に提言すべきときである」という指摘。ここは政治リーダーのみならず、経済リーダーもその存在意義と真価が問われている。
アフガンの教訓
アフガンでタリバン政権が復活した。米国が支援した前政権は米軍撤退に合わせて、あえなく崩壊し、イスラム原理主義のタリバンが権力を掌握。このアフガンから撤退するときの各国の対応が今、話題になる。
米国は11万人余のアフガン在住の自国民と、米政府や米軍の政策実行に協力したアフガンの関係者の大方を撤退させた。ドイツも5000人余の規模で実行。英国も1万5000人以上の自国民とアフガン人を救出したと言われる。日本はどうか?
日本大使館員と、業務に協力してきた500人余のアフガン人は出国を試みたが、運悪く自爆テロが発生。8月17日に大使館員12人のみが英国機で脱出。協力してくれた500人余のアフガン人は取り残されたまま。
こうした海外での危機に遭遇したとき、決まって出てくるのが、飛ぶのは自衛隊機か、民間機かという日本国内での議論。
民間機は危機真っ只中の現地に飛ばせないというのも当然の考え方。問題は自衛隊機を飛ばせるかどうかである。自衛隊法の条文には「防衛大臣は当該輸送において予想される危険及びこれを避けるための方策について外務大臣と協議し、当該輸送を安全に実施できる認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる」とある。
要するに日本の憲法上、武力行使の目的で自衛隊を他国に派遣することは許されないとして、これまでの国会審議では自衛隊機を飛ばす前に現地は安全かどうかを巡る議論で終始。
自衛隊関係者は安全が確保されていないから自分たちの使命として行くという考えが強い。自衛隊関係者の間では、安全が確保されている場合は民間航空機に任せればいいという考え。自衛隊関係者には覚悟がある。
国と国の関係構築には国民同士の動きも絡まってくる。
トルコとの友好に…
今から約130年前、1890年(明治23年)9月、当時のオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が日本に派遣された。友好使節を乗せ、明治政府との親善を深めた後、帰路に就き、和歌山・串本町に差し掛かったとき、台風に遭遇。船は岩礁に乗りあげ難破し、乗員600人超が海に投げ出された。
事故を知った串本の西側にある大島の約2千人の住民たちは嵐の中、救助に向かい、結果、69人が救われた。このことを知ったトルコの人たちは嵐の危険な中で、日本の地方の住人たちが労を惜しまずに救助に向かってくれたことに恩義を感じてくれている。以来、130年余、トルコと串本町、ひいては日本政府との友好親善関係は今も続き、慰霊祭が催されている。
海難事故から95年後のイラン・イラク戦争で在留邦人約215人がイランの首都・テヘランに取り残されたとき、いかに邦人を救出するかが課題となった。いつイラク(当時:フセイン大統領)がテヘランをミサイル攻撃してくるか判らないという不安の中で、日本国内では「飛ばすのは民間機か自衛隊機か」という議論が起こっていたが、結局、どちらも飛ばせず、在留邦人はどん底に落とされた。
そのとき、救援の手を差し伸べてくれたのがトルコ政府であった。専用機2機をテヘランに飛ばし、トルコ経由で日本人全員を無事、救出してくれたのである。トルコ国民は「エルトゥールル号で受けた恩を今こそ……」という思いであった。
こうした両国の信頼関係は、置かれた状況下で自分たちは何ができるかを考え、それを実行するという覚悟の下で構築。
アフガンの問題は国のあり方と共に、危機管理の手立てをどう構築し、実行するかという命題を突き付けている。アフガンでは日本人医師・中村哲さんが現地に入り、医師活動から出発。アフガンの自立には「まず食料確保」という観点から農業支援が大事として、自ら水路建設に当たってきた。その中村さんは一昨年、凶弾に倒れた。
いつ危難が我が身に及ぶのかも判らない中で、中村さんが身を投げ打ってアフガンで生き抜いてきたことを現地の人たちは敬意を持って受け止めてきた。
日本の生き方が問われている
いま、国際秩序が揺さぶられている。米国が世界をリードし、「世界の警察官」として安全保障面でも大きな役割を果たしてきた時代が終わろうとしている。
一方、中国が米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、社会主義市場経済でここまで来たが、課題も抱える。人口減・少子化という人口動態の変化、そして沿岸部と内陸部との格差などのマイナス要因にどう対応していくかといった課題である。
米国もまた所得格差などの問題を抱え、デジタル化の進展の中で、ある人は富み、ある人は低水準の生活に追い込まれるという二極化。米国の相対的な地位低下は1980年代のベトナム戦争敗北等を経て始まった。
その後、レーガン大統領が登場。規制改革で米経済をテコ入れし、90年代にはネット革命を受けて、シリコンバレーでIT企業群を構築し、GAFAなど世界経済に大きな影響を与える企業を輩出した。一方で、今は所得格差、人種差別という問題も顕在化させている。
米中という経済大国同士が対立する中で、日本の立ち位置をどう図るか。そして人口減・少子化、地方の過疎化が進む中で、日本国内での活力をどう取り戻すか。政治・経済両領域のリーダーの役割と使命は重い。
コロナ危機の感染者は縮小傾向であるが、ミュー株など新たなウイルスの出現もあり、先行き不安感は拭えない。医療崩壊を防ぐ手立てをとり、経済再生へ向け、国民のヤル気を引き出すときである。日本の動向を世界中が見つめている。
【関連記事】【政界】脱原発を含めたエネルギー問題や「企業から人へ」の分配問題が焦点に
「時代の転換期の今こそ、民間の力を掘り起こすとき」と某IT大手の経営トップは語る。コロナ危機が2年近くに及び、さらに向こう1年は忍耐が強いられる状況の中、財政出動による各種対策の実行を望む声が強い。また、〝国民に寄り添う〟という形で政治の側からも、いろいろな手当を行う案が登場する。
今は大変な危機にあり、医療崩壊を防ぐための手立て、また自然災害から身を守る治水や堤防構築など、環境インフラ整備のための公共投資は必要。財政出動の役割も重いものがある。
ただ、同時に経済の主体は民間という中で、民間の持つ力、もっと言えば国民のヤル気を引き出す政策をこそが今、求められるのではないか。
昨年1月から始まったコロナ危機の中で、民間企業経営者の大半は自力で必死に生き抜こうとしている。事実、自動車を始め製造業やIT、デジタル関連の企業は増益を果たすところも少なくない。こうした企業の潜在力をさらに掘り起こすことが必要であろう。
一方、行動の自粛で飲食、宿泊、航空・陸上輸送などは需要激減で赤字が続く。そうしたサービス産業の倒産、あるいは廃業も増加しており、こうした苦境に立つ企業への支援も欠かせない。その意味で財政支援の要素も出てくるが、民間の活力をもっと生かせないか? という指摘である。
今回の自民党総裁選はコロナ禍の影響を大いに受けた。昨年9月に登場した菅義偉政権は当初、世論調査で7割台の支持率を持ってスタートしたが、年明け後、徐々に支持率が低下。さらに東京オリンピック・パラリンピック(7月23日―9月5日)を境に支持率が低下。8月に首相の地元・横浜市長選で首相が推す小此木八郎候補が敗北、自民党議員の間に不安がよぎる。
自民党当選3回生以下の若手の間で「このままでは選挙で戦えない」として、新しい政治の顔を求める声が高まってきた。
昨秋、麻生派、そして安倍晋三・前首相が所属する細田派の支援をバックに登場した菅首相だが、今夏以降の政治情勢の変化の中で派閥の支援が得られなくなった。無派閥の首相としては、ここで万事休す。
元々、政治は数の論理で動くし、派閥も必然的に生まれてくるわけだが、今回は派閥政治の限界を見せつけられることとなった。9月10日、総裁選への出馬を表明した河野太郎氏は自らが所属する麻生派の領袖・麻生太郎財務大臣の下へ何度も通い、出馬の『了承』を取り付けた。
しかし、麻生派の中には岸田文雄氏(岸田派の領袖)を推す動きもある。麻生派の中も割れている。若手を中心に河野氏を支持するものもいれば、同派の幹部・甘利明・自民党税制調査会会長は河野氏を推さず、やはり岸田氏の支持に回るといった具合。これは他の細田派や竹下派などでも同じ分裂状況が続く。
今回の総裁選について、「今は代替わりを求める声が強いとき。河野氏を推す声が強いのも、若手を中心に代替わりを求める機運が強いから」という見方。
現に世論調査でも河野氏を推す声が一番多い。2番手に岸田文雄氏、3番手に高市早苗氏という順。
世論の支持の内容を見ると、与党、野党のそれぞれの支持を除く浮動層は3割以上と言われる。浮動層は若い世代に多く、この世代が若返りをのぞむ原動力になっている。今の政治がこうした声をどこまで拾えるかという今日的課題である。
リーダーの真価が問われている
大事なことは、政治リーダーが国の針路を巡り、大きな国のビジョンを示せるかどうかという視点を忘れてはならない。冒頭、民間の力、国民のヤル気を掘り起こすときと記したのも、若い世代を中心に自力、あるいは自立・自律の考えが非常に強くなっているということ。
世界に目を転ずれば、同じパンデミックの中にいて、米国は年率7%、欧州は4・8%と高い経済成長を遂げているが、日本は2%台という低い成長。思い返せば、1989年(平成元年)、ベルリンの壁が崩壊し、旧ソ連や東欧などの社会主義体制が崩壊、日本は90年代初め、バブル経済が崩れ、〝失われた20年〟の時代に入る。
GDP(国内総生産)は、500兆円程度でずっと推移、物価も低迷し、デフレ状況が依然続く。低成長、ゼロ金利・マイナス金利というデフレ現象は令和の時代を迎えて基本的に続いており、まさに〝失われた30年〟という状況。
こういう中にあって「リーダーはまず、自分の考える日本再生の道筋を示すとき。有り体に言えば、自分のやりたいことを言えと言いたい」と識者は語る。
経済政策では、河野氏は「企業から個人へ」と労働分配率を一定水準以上にした企業に法人税での特例措置を行うと表明。高市氏はサナエノミクスを掲げ、積極的財政出動によるリフレ策。岸田氏は『格差是正』、『中間層への配分』を訴える。国のカタチをどう構築し、国民のヤル気を掘り起こしていくか、大事なときである。
こういう時の経済人の役割とは何か?
もちろん自立の道が要求されるが、デジタル化の遅れ、コロナ対応での医療崩壊という国家的課題について、「経団連、経済同友会、そして商工会議所など経済団体も政策立案で積極的に提言すべきときである」という指摘。ここは政治リーダーのみならず、経済リーダーもその存在意義と真価が問われている。
アフガンの教訓
アフガンでタリバン政権が復活した。米国が支援した前政権は米軍撤退に合わせて、あえなく崩壊し、イスラム原理主義のタリバンが権力を掌握。このアフガンから撤退するときの各国の対応が今、話題になる。
米国は11万人余のアフガン在住の自国民と、米政府や米軍の政策実行に協力したアフガンの関係者の大方を撤退させた。ドイツも5000人余の規模で実行。英国も1万5000人以上の自国民とアフガン人を救出したと言われる。日本はどうか?
日本大使館員と、業務に協力してきた500人余のアフガン人は出国を試みたが、運悪く自爆テロが発生。8月17日に大使館員12人のみが英国機で脱出。協力してくれた500人余のアフガン人は取り残されたまま。
こうした海外での危機に遭遇したとき、決まって出てくるのが、飛ぶのは自衛隊機か、民間機かという日本国内での議論。
民間機は危機真っ只中の現地に飛ばせないというのも当然の考え方。問題は自衛隊機を飛ばせるかどうかである。自衛隊法の条文には「防衛大臣は当該輸送において予想される危険及びこれを避けるための方策について外務大臣と協議し、当該輸送を安全に実施できる認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる」とある。
要するに日本の憲法上、武力行使の目的で自衛隊を他国に派遣することは許されないとして、これまでの国会審議では自衛隊機を飛ばす前に現地は安全かどうかを巡る議論で終始。
自衛隊関係者は安全が確保されていないから自分たちの使命として行くという考えが強い。自衛隊関係者の間では、安全が確保されている場合は民間航空機に任せればいいという考え。自衛隊関係者には覚悟がある。
国と国の関係構築には国民同士の動きも絡まってくる。
トルコとの友好に…
今から約130年前、1890年(明治23年)9月、当時のオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が日本に派遣された。友好使節を乗せ、明治政府との親善を深めた後、帰路に就き、和歌山・串本町に差し掛かったとき、台風に遭遇。船は岩礁に乗りあげ難破し、乗員600人超が海に投げ出された。
事故を知った串本の西側にある大島の約2千人の住民たちは嵐の中、救助に向かい、結果、69人が救われた。このことを知ったトルコの人たちは嵐の危険な中で、日本の地方の住人たちが労を惜しまずに救助に向かってくれたことに恩義を感じてくれている。以来、130年余、トルコと串本町、ひいては日本政府との友好親善関係は今も続き、慰霊祭が催されている。
海難事故から95年後のイラン・イラク戦争で在留邦人約215人がイランの首都・テヘランに取り残されたとき、いかに邦人を救出するかが課題となった。いつイラク(当時:フセイン大統領)がテヘランをミサイル攻撃してくるか判らないという不安の中で、日本国内では「飛ばすのは民間機か自衛隊機か」という議論が起こっていたが、結局、どちらも飛ばせず、在留邦人はどん底に落とされた。
そのとき、救援の手を差し伸べてくれたのがトルコ政府であった。専用機2機をテヘランに飛ばし、トルコ経由で日本人全員を無事、救出してくれたのである。トルコ国民は「エルトゥールル号で受けた恩を今こそ……」という思いであった。
こうした両国の信頼関係は、置かれた状況下で自分たちは何ができるかを考え、それを実行するという覚悟の下で構築。
アフガンの問題は国のあり方と共に、危機管理の手立てをどう構築し、実行するかという命題を突き付けている。アフガンでは日本人医師・中村哲さんが現地に入り、医師活動から出発。アフガンの自立には「まず食料確保」という観点から農業支援が大事として、自ら水路建設に当たってきた。その中村さんは一昨年、凶弾に倒れた。
いつ危難が我が身に及ぶのかも判らない中で、中村さんが身を投げ打ってアフガンで生き抜いてきたことを現地の人たちは敬意を持って受け止めてきた。
日本の生き方が問われている
いま、国際秩序が揺さぶられている。米国が世界をリードし、「世界の警察官」として安全保障面でも大きな役割を果たしてきた時代が終わろうとしている。
一方、中国が米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、社会主義市場経済でここまで来たが、課題も抱える。人口減・少子化という人口動態の変化、そして沿岸部と内陸部との格差などのマイナス要因にどう対応していくかといった課題である。
米国もまた所得格差などの問題を抱え、デジタル化の進展の中で、ある人は富み、ある人は低水準の生活に追い込まれるという二極化。米国の相対的な地位低下は1980年代のベトナム戦争敗北等を経て始まった。
その後、レーガン大統領が登場。規制改革で米経済をテコ入れし、90年代にはネット革命を受けて、シリコンバレーでIT企業群を構築し、GAFAなど世界経済に大きな影響を与える企業を輩出した。一方で、今は所得格差、人種差別という問題も顕在化させている。
米中という経済大国同士が対立する中で、日本の立ち位置をどう図るか。そして人口減・少子化、地方の過疎化が進む中で、日本国内での活力をどう取り戻すか。政治・経済両領域のリーダーの役割と使命は重い。
コロナ危機の感染者は縮小傾向であるが、ミュー株など新たなウイルスの出現もあり、先行き不安感は拭えない。医療崩壊を防ぐ手立てをとり、経済再生へ向け、国民のヤル気を引き出すときである。日本の動向を世界中が見つめている。
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