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駐リトアニア大使に就任した元野村証券顧問・尾崎哲氏が語る「リトアニアの人々の心に残るような仕事を」

財界オンライン 2021年10月14日 11時45分

2021年9月3日付で、在リトアニア日本国大使館特命全権大使を拝命しました。

 就任後、様々な形でリトアニアの方にお会いする中で、彼らの日本文化へのリスペクト、日本人に対する期待を強く感じることが多くありました。

 日本とは全く違う歴史を歩んできた国として、お互いに学ぶべきことがあるのではないかと感じます。

 今後、両国が関係をさらに深めるためには、お互いのことを知ることが大事になってきますから、文化交流の拡大が必要ではないかと考えています。この素地を築くための一助となることも、大使としての私の役割ではないかと思っています。

 経済人、民間人として大使に就任したわけですが、大変名誉なことだと感じています。野村ホールディングスに限れば、10年からギリシャ大使を務めた元副社長の戸田博史さん、17年からジャマイカ大使を務めた野村證券元専務の山崎啓正さんに続いて3人目となります。

 野村HDは独自のグローバル化を進めてきました。要は、各地域の人たちの中にどっぷりと浸かって、一緒に何かを成し遂げていくということを繰り返してきた会社です。その国、地域に貢献できなければ、事業運営はできません。決して上辺だけでない土着化がベースにあるのです。

 そのような独自性の中で、このような名誉ある職に選んでいただけるような機会も出てきているということだと思います。

 私を選んでいただいた経緯について詳細はわかりませんが、野村での仕事に加えて、野村の業務以外で様々活動してきたことについて、誰かがどこかで見て下さっていたことで、このような巡り合わせ、「天命」をいただけたのではないかというのが正直な思いです。

 リトアニアは歴史的に見ても、第2次世界大戦では旧ソビエト連邦やナチスドイツの占領下に置かれるなど、非常に厳しい中を生き抜いてきました。そのため、現在も地政学に関わる政治的な判断を毅然として行う国だという印象を持っています。

 過去の一時期に自らの国が「消えていた」という経験の中で、リトアニアの言葉や文化といったアイデンティティを維持し続けてきたわけですから、そのことに対する必死さは我々の想像を超えています。

 私は日本人として、リトアニアの方々に自らのアイデンティティを問われた時に、答えられる言葉を持っていなければいけないと考えているところです。

 リトアニアと日本との関係で忘れてはならないのは、第2次大戦中に駐リトアニア在カウナス(当時の首都)日本領事館領事代理を務めていた杉原千畝さんです。ナチスドイツから逃れてきたユダヤ人に「命のビザ」を大量発給し、彼らの命を救ったことで知られています。

 戦時中という環境下で、あれだけのことをやってのけた方がいたというのは、日本人の誇りです。

 リトアニアの方々も、それを評価してくれており、カウナスには旧日本領事館が「杉原記念館」として残っています。

 2020年は杉原さんの生誕120年、「命のビザ」発給80年という年でもありました。また、22年は日本がリトアニアを最初に国家として承認して100年という記念すべき年です。

 次の100年に向けて、私には杉原さんのような大きなことはできませんが、少しでもリトアニアの人々の心に残るような活動ができたらと思います。

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