【織田哲郎 あれからこれから Vol.46】ニコリともせず…オーディションの審査員をにらみつけていた相川七瀬

夕刊フジ / 2019年12月3日 17時8分

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織田哲郎(夕刊フジ)

 1989年、私はあるオーディションで大阪予選の審査員を頼まれました。そこでとても面白い少女に出会ったのです。

 アイドルのオーディションにも関わらず、その子はニコリともせず、審査員たちをずっとにらんでいました。そして工藤静香さんの「嵐の素顔」を大声でシャウトして帰りました。当然、その風変わりな子はオーディションに落ちましたが、私の頭の中にはずっとその子の強烈な印象が残っていたのです。

 当時、ガールズロックは世の中にあったのですが、全体的にどれも健全さ、元気さを競うかのようなテイストでした。私はもっとダークで、なおかつポップなロックができないかと考えるようになり、思い出したのがあのオーディションで出会った少女でした。

 私はオーディションを主催していたビーイングの社長、長戸大幸さんとCBSソニーの制作トップの了解を得て、その子に会いに行ったのです。しかし、そのときは「学校が楽しいのでもう歌をやる気はない」と断られ、「じゃあ、気が変わったら連絡ちょうだい」と言い残して、東京に戻りました。

 それから1年後、突然彼女から「学校をやめました。やはり歌をやりたいです」という連絡があったのです。

 その後、しばらくは大阪で歌のレッスンをしたり、ひたすら詞を書かせたりという準備期間を経て、94年に上京させてスタジオでデモテープを作りました。

 私はビーイングでのデビューを考えていましたが、95年になって長戸さんの後を継いだ社長から「ビーイングでは彼女をデビューさせる気はない」と言われました。「じゃあ他社へ持っていっていいですか?」「そうしてください」というやりとりがあり、レコード会社を探すことになったのです。

 その頃、たまたま現在エイベックスの会長である松浦勝人くんを知人から紹介されたので、彼にその子の話をしたところ、とんとん拍子にエイベックスからのデビューが決まりました。

 とはいえ、エイベックス側からすると、当時は“ビーイングの織田哲郎”と一緒に仕事をする、という意識だったと思います。エイベックスチームは、その子のレコーディングに関して、ビーイングとどういう形で共同でやるかというスタンスでしたが、ビーイング側からは「すべてそちらでやってください」という返答でした。

 そこで私は古い友人に社長になってもらい、その子のマネジメント会社も作りました。こうして95年11月8日、相川七瀬が「夢見る少女じゃいられない」でデビューしたのです。

 ■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガーソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。現在「オダテツ3分トーキング」をYouTubeで配信中(毎週土曜日更新)。12月3日(火)に「オダテツ90分トーキング」生配信ライブを「渋谷 eplus LIVING ROOM CAFE&DINING」で開催。

 12月21日(土)に『クリスマススペシャルライブ』をモーション・ブルー・ヨコハマで開催。一般予約を受付中。

 弦カルテットとの共演による『幻奏夜IV』は20年2月23日(日)=名古屋ブルーノート▽同24日(月祝)=ビルボード大阪で開催。一般予約を受付中。詳しくは公式サイトt-oda.jpへ。

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