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焦点:タリバン「報復しない」は偽りか、地方一家が恐怖を証言

ロイター / 2021年10月5日 8時4分

8月、アフガニスタン東部ナンガルハール州の支配権を奪還したイスラム主義組織タリバンは、長年の仇敵への報復を開始した。地元政界の名士であるアジュマール・オマル氏を捜索する傍ら、タリバンは同氏の先祖代々の家を爆破した。写真は破壊された家。23日撮影。提供写真(2021年 ロイター)

[28日 ロイター] - 8月、アフガニスタン東部ナンガルハール州の支配権を奪還したイスラム主義組織タリバンは、長年の仇敵への報復を開始した。

地元政界の名士であるアジュマール・オマル氏(37)を捜索する傍ら、タリバンは同氏の先祖代々の家を爆破した。オマル氏は1年前にタリバン武装勢力をナンガルハール州から追放するのに貢献し、アフガンの若者たちがタリバンに参加しないよう説得を試みていた。

タリバンはオマル氏保有の金品や自動車を略奪し、数人の親族を拘束・拷問して彼の所在を突き止めようとした。

一連の出来事を証言したのは、報復の対象とされたと語る2人の親族、事件を目撃したか、詳しく知る立場にあった10人の地方当局者及び住民、そしてアフガン情報機関の元職員1人だ。

ロイターでは独自の裏付けを得られなかったが、これらの情報提供者から得られた画像には、大破した邸宅や、タリバンによる殴打が原因だという傷を負った家族の姿が映し出されている。

オマル氏本人は潜伏中であり、安全上の懸念があるとして、この記事へのコメントを控えた。

タリバンは8月15日に権力を奪還した直後、国際社会とかつての対立勢力を安心させることを狙って、報復を行わない旨を表明した。

だがオマル氏の家族は、自分たちの経験はそうした約束とは矛盾していると話す。

オマル氏の親族の1人は匿名を条件に、「自分たちがこんな風に標的になるとは誰も想像していなかった」と語る。「タリバンは前政権のために働いた者を罰することはないと言ったが、彼らが私たちにやったことはその正反対だ」

オマル氏の親族と地元住民が語った状況について、またタリバン打倒を支援するための同氏の取り組みについてタリバンの報道官に質問したが、いずれも回答は得られなかった。

タリバン政権の閣僚の1人はロイターに対し、国内各地の指揮官らが元政府当局者の自宅やオフィスを強制捜索し、武器や装甲車両を押収したと述べたが、オマル氏の親族が受けたような懲罰については関知していないと語った。

タリバン政権のムラー・モハマド・ヤクーブ国防相は前週、タリバンの勝利後に一部の戦闘員がとった行動を非難する声明を発表した。ただ具体的な事例には言及しなかった。

「不信心者と、悪名高い元兵士たち」がタリバン戦闘員に合流し、省庁や政府機関オフィスの占拠から2─3件報じられている殺人に至るまで、さまざまな罪を犯したというのが国防相の説明だ。

「誰もがアフガニスタン全土で布告された大赦の決定を知っている。誰かに復讐する権限を与えられた戦士はいない」

<ソーシャルメディアで共有される事例>

タリバンは1996年から2001年にかけて国内を支配し、独自の解釈によるイスラム法を厳格に執行した。公開の石打ちや身体の切断を行い、女性の労働や少女の就学は禁止された。

タリバンは、今回は国民の人権を尊重し敵の捜索はしないと表明しているが、身の安全と将来に不安を感じた何万もの人々が、混乱極まるカブール脱出を経て国外に出た。潜伏中の人はさらに多い。

ソーシャルメディアへの数百件の投稿では、携帯電話による画質の粗いものだが、武装した男たちによる家宅捜索、路上での人々に対する殴打、拘束して車に乗せるといった映像がシェアされている。

複数の元当局者、軍関係者、その他前政権に近い人々が、報復があったと主張している。ロイターではそうした主張の裏付けを得られていないが、ロイターのインタビューに応じた人の中には、恐怖のあまり自らの体験を公表できないという声もある。

オマル氏の一件は、これまでのところ、西側諸国の支援を受けた前政権で働いた人々、特にタリバンをアフガンから追放するために戦った人々に対するタリバンの報復を最も詳しく伝える証言の1つだ。

<潜伏中>

山がちなアフガニスタン東部に位置し、リンゴやレモンを育てる農地が点在する谷間にあるコディ・ケルという僻村は、以前からタリバンの標的になっていた、と住民らは語る。

住民らによれば、2001年に権力の座を追われた後、タリバンがパキスタンへと続く戦略上重要なルートの支配権を取り戻そうと試みる中で、この村と周囲のシェルザド地区はロケット弾による攻撃を受けたという。

オマル氏は地元で知られた地主で、一族は村内に、壁に囲まれた22部屋の広大な邸宅を構えていた。

オマル氏は州議会副議長として昨年、この地区からタリバンを追放する戦略的な取り組みの先頭に立った。戦闘の中で、タリバン戦闘員とアフガン兵士がそれぞれ複数負傷した。

それまでも、2014年の選挙に当選して以来、オマル氏は暇さえあれば村々をめぐり、米国の支援のもと反政府勢力と戦う軍隊に入るよう若者たちを説得していた、と住民は語る。

長年にわたりタリバンの活動拠点だったの温床であったナンガルハール州で、これは危険を伴う行動だった。

過去5年間のうちに、同州の州議会議員3人がそれぞれ別の攻撃により殺害されている。

元州議会議員は、昨年、オマル氏が地元でのアフガン軍の勝利を祝う集会に向かう途中、その車列がタリバン戦闘員の襲撃を受け、2人の犠牲者が出たと明らかにした。

住民によれば、8月13日にタリバンが国内全土で電撃的な攻勢の中でコディ・ケルを奪回したとき、戦闘員がオマル氏を捜索するので屋内に留まるよう命じられたという。

だがタリバン戦闘員が到着したとき、オマル氏の邸宅には数人の使用人以外には誰も残っていなかった。使用人らは退去を命じられた。

爆発音を耳にし、その後の状況を目撃した家族や地元住民へのインタビューによると、自動車やその他価値ある家財は略奪され、数回の爆発が起き、邸宅を囲む壁の一部が崩壊し、いくつもの部屋ががれきと化したという。

オマル氏は、ナンガルハール州の州都ジャララバードで州議会の危機対応会合で、議員らとともにタリバンの侵攻に反撃する方法を議論していたが、すぐに自身が捜索されていることを知った。

2人の親族によれば、オマル氏はその時点でまだ前政権が掌握していた首都カブールに逃れ、今も潜伏中だという。

数日後、ナンガルハール州はタリバンの手中に落ちた。

9月3日、戦闘服に身を包んだタリバン戦闘員たちがジャララバードにあるオマル氏の公邸を強制捜索した、と現場にいた家族2人が証言している。

タリバンはオマル氏の3人の息子、5人のおい、1人の兄弟を拘束し、金製品や現金、自動車、装甲車両、護身用の銃を押収した。親族らはその後全員解放された。

親族の1人は、彼自身を含む親族らがむちで叩かれ、窓のない部屋に放り込まれたと述べた。彼が提供した負傷状況を示す写真には、厚く包帯を巻かれた手足と打撲痕が写っている。

別の親族は、部屋に3日間監禁されて拷問を受けたと話した。ロイターは証言について独自に確認はできていない。この親族は、タリバン支配下のアフガニスタンでは自身にも家族にも未来がないと語った。

オマル氏の妻、子どもたち、4人の兄弟、5人の姉妹とその家族たちは、全員アフガニスタン国内で目立つ行動を控えて暮らしている。

親族によると、オマル氏は現在、髪とひげを伸ばし、タリバンから逃れるため家々を転々とし、国外に逃れる方法を見つけようとしているという。

(Rupam Jain記者、翻訳:エァクレーレン)

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