【藤波辰爾45周年ヒストリー】(36)武藤、蝶野、橋本…闘魂三銃士の台頭

スポーツ報知 / 2017年3月21日 15時0分

闘魂三銃士の蝶野、武藤、橋本(左から)

 1990年代に入ると新日本プロレスに新しい波が押し寄せていた。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也。闘魂三銃士の台頭だ。3人は1984年4月に入門したライバル。そろって海外武者修行を経験し相次いで凱旋帰国した90年から藤波辰爾、長州力の次を担うスターとしてリング上で輝き始めていた。

 「三銃士が入門したころは、粒のそろった新人が入ってきたな、ぐらいでそれほどの印象はない。やはり、自分の中で残っているのは海外へ出て帰って来てからになる。3人とも道場で鍛えられてきたから芯はしっかり通っていた。彼ら3人は常にお互いをどこかで意識していた。それは自分と長州の関係に似ていた。相手と違う部分を自分は光らせようとしていた。3人とも常に他の2人より自分が抜けだそうとしていたと思う」

 三銃士の中で初めて藤波が持つIWGP王座に挑戦したのは、蝶野正洋だった。1991年5月31日、大阪城ホール。37歳で迎えたレスラー生活20周年の記念興行で蝶野の挑戦を受けた。

 「蝶野はマイペースでどんな相手と戦っても自分のスタイルは絶対に崩さないタイプ。素材は、体も大型でいいもの持っている。自分と同じようにもともと格闘技経験ないからニュートラルで変なクセがない印象だった」

 私生活でも話をすることが多かったという。

 「彼は猪木さんの付け人をやっていて、巡業先なんかで飯を食いにいったりした。そんな縁で結婚式の仲人も務めた」

 藤波がプロレスセンスを評価したのが武藤だった。闘魂三銃士結成前の86年10月。最初の凱旋帰国時、初戦で相手を務めた。

 「あの試合で厳しく攻めたのは覚えている。武藤は3人の中で一番、キレがいい。柔道から来ているから寝技も良かった。彼も最近のインタビューで自分との試合は“勉強になった”と言っていた。あの時から武藤は食らいついてきていた」

 グレート・ムタとしても日米で人気を得た武藤。IWGP王座を巡っての対戦はなかったが、プロレスへの感性は似ていることを感じていた。

 「武藤は器用で懐が深い。プロレスに対する視野が広い。米国での経験があって、相手に応じて自分を出すことができる。そこはどこか自分と似ている部分。プロレスは感性が大事で、そこだけは教えることができない。その感性を武藤は持っていた」

 武藤は、2002年1月に新日本を退団。三沢光晴ら大量離脱して苦しんでいた全日本へ移籍した。自分だけでなく小島聡、ケンドー・カシンの人気選手とフロントも連れて行った離脱に当時、社長だった藤波は、責任を追及されたこともあった。

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