【あの時・竹原慎二奇跡の勝利】(5)王座在位188日「やり切った感は全くなかった」

スポーツ報知 / 2017年5月20日 13時0分

初防衛戦で竹原はジョッピーに9回TKO負けした(96年6月24日、横浜アリーナで)

 竹原は1996年10月30日に現役引退を発表した。95年12月19日に日本人最重量級の世界王者となってから11か月後のことだった。引退の理由は「左目網膜剥離」。もうリングに立つことはできなくなっていた。

 96年6月24日に横浜アリーナで臨んだ初防衛戦は、挑戦者ウィリアム・ジョッピー(米国)に9回2分29秒、TKO負けを喫した。王座在位期間は188日間。「やり切った感は全くなかった。24歳だったし、その後、人生、どうなるんだろうという怖さしかなかった」と竹原は振り返る。

 カストロ戦で受けたダメージは予想以上に深刻だった。初防衛戦前に左目の視力は0・03にまで落ちた。世界奪取後、一度入院し、初防衛戦前に再び入院した。会長の宮下政にも教えなかった。病院のベッドで「右目まで見えなくなってしまう恐怖」の中、葛藤した。「怖い思いをして勝つと喜びを感じ、またボクシングがやりたくなる。何が怖いか。負けることなのか? 殴られることか? いや、人が背を向け去っていくことが怖かった」

 中卒の16歳9か月で上京した。高校受験で4校落ち、受け入れてくれる場所はなかった札付きのワル。「だれからも認められたことがない生き方を変えたい」。その一心でボクシングを始め、頂点にまで立った。「人生、真っ暗だと思ったのに輝くことができた。負けたら終わり。そう言い聞かせてきたんだから…」

 24歳9か月。ボクサー人生は89年のプロデビューから7年で幕を閉じた。しかし、人生は続く。日本人最重量級の世界王者という記録と名声は残したが、「お金は大して残らなかった」と竹原。「引退するまで全額貯金してきた」というファイトマネーを頼りに第二の人生をスタートさせた。

 97年3月に香織夫人と結婚。家族も養うために都内の日焼けサロンで1年近くアルバイトもした。スポットライトを浴び、大歓声の中で激しく魂を燃やした瞬間はもうやってこない。「引退してから4年近くが一番、孤独だった。本当に何にもしてなかった」と竹原。ボクシングを忘れるために酒、たばこを始めたこともあった。

 転機が訪れたのは99年4月。街の不良を相手にボクシングを教えるテレビのバラエティー番組、TBS系の「ガチンコ! ファイトクラブ」に誘われた。不良どもとの真剣勝負がウケて、再びスポットライトを浴びた。第二の人生ではもう未練は残さないと決めた。ブログの末尾には必ずつける潔い、決め文句がある。「じゃあの」―である。(小河原 俊哉)=敬称略・終わり=

 ◆「がん闘病記」発売

 2014年にぼうこうがんを患い現在も闘病中の竹原さんは、がんとの闘いをつづった「見落とされた癌」(双葉社刊)を6月22日に出版する予定だ。13年1月に頻尿を感じ診察を受けたが、1年以上も担当医師ががんを見落としていたという。病院をかえて診察した結果、14年2月に2.5センチ大の腫瘍を発見。「末期一歩手前のステージ4」の診断で「余命1年」と宣告され、14年6月に計13時間に及ぶ手術を行った。3か月に1度だった通院は半年間隔になり「今はもう元気になり普通に過ごしてます。発見がもう少し遅れていたら、どうなっていたか。そういう思いをしている人がいたら、ぜひ僕の本を読んで参考にしてほしい」と話した。

hochi

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