福島原発事故による「内心被曝」とはいったい何だ?【東日本大震災から10年】

J-CAST会社ウォッチ / 2021年3月4日 11時45分

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10年前、福島第一原子力発電所の事故で住民は避難を余儀なくされた

「内心被曝」という耳慣れないタイトルが目に入り、手に取ったのが本書「内心被曝 福島・原町の一〇年」である。

福島第一原子力発電所の事故による外部被曝でも内部被曝でもなく、心の奥深くに受けた傷を、ある主婦が「内心被曝」と呼んだことに由来する。

「内心被曝 福島・原町の一〇年」(馬場マコト著)潮出版社

2011年3月11日15時27分、福島原発は全電源を喪失した

福島県・原町は「相馬野馬追」で知られる小都市だ。近隣の2町と2006年に合併し、「南相馬市」となって5年目に東日本大震災が発生した。東京電力福島第一原子力発電所から20~30キロメートル圏に位置する同市は、「警戒区域」「緊急時避難準備区域」「非避難区域」に分断された。震災発生時の同市原町区(旧原町市のエリア)の人口4万7000人のうち、市内に残ったのは8000人といわれ、3万9000人が自主避難した。

原発から微妙な距離に位置したため、ほかの地域とは異なる生活を余儀なくされた市民たち。本書では4つの家族に焦点を絞り、その10年を追っている。「普通の人々」が、いかに原発汚染におびえながら日々を耐えたのか――。

著者は「アフターコロナ、ウイズコロナ時代を生き抜くための、さらにはすぐにやってくる超高齢社会日本のひとつの答えがある」としている。

第一章「終戦記念日」で登場する家族は、福島原発から20キロ圏のぎりぎり外側に住む松本優子さん(震災当時47歳)が主婦の目から語っている。一男二女の子どもたちは、それぞれ高・中・小学校に通っていた。

2011年3月11日15時27分、福島原発は津波に襲われて全電源を喪失し、冷却水の供給が止まった1号機は炉心溶融を始めた。国は19時3分に原子力緊急事態宣言を発令。21時23分には福島原発から半径3キロ圏内に避難指示を、半径10キロ圏内に屋内避難指示を出した。

同市小高区の南端は15キロ離れているが、松本さんが夜に市役所を訪れた時、福島原発に関して、まったく無関心だったという。津波被害と余震対策に加えて、津波発生と同時に起こった東北電力原町火力発電所の火災、停電事故の対応に大わらわだったのだ。

12日午後、福島原発1号機は水素爆発を引き起こし、国は立ち入り禁止区域を半径20キロ圏に拡大した。14日には3号機が水素爆破し。20キロから30キロ圏内に屋内避難指示が出た。その中に原町区全体がすっぽり入った。自宅に留まる訳には行かないと同じ市内の先輩の家に一家で一時逃げ込んだ。

原発との「シーベルト戦争」

国はその後、屋内避難を解除したが、集落の行政区長が放射線量を測定すると、子どもが浴びて良しとする上限値を超えていた。集落は自主的に屋内避難を続けることにした。松本さんは不安になり、北に位置する相馬市への避難を決めた。廃屋を修理した貸家に引っ越した。それまで住んでいた自宅の黒板に「平成23年5月29日(日)」と書き込んだ。毎日悩みおびえた放射能からようやく逃げられるという安心感と安堵感。原発と松本さんのあいだに突然勃発した「シーベルト戦争」の「終戦記念日」だった。

だが、それで終わったわけではなかった。夏休みが終わる頃、元の自宅が「特定避難勧奨地点」になったと通知を受け、説明会に行った。「集まった義務教育の児童を持つ家庭の放射能は、年間積算線量が20ミリシーベルトを超えると推定され、避難を勧奨するが強制力を持つものではない」と説明され、「対象家庭の児童1人につき毎月10万円の支援」が約束された。

金銭がからむため、噂はすぐに広がり、集落では隣近所で微妙で感情的な軋轢が生まれた。最終的には周辺7行政区の全体が特定避難勧奨「地域」となり、全住民に補償がつくことで解決したという。

その後、一家は南相馬市の「みなし仮設」に移り、子どもたちの通学も楽になった。じつは「終戦記念日」以降も松本さんの「心の中に放射能は降り積もった」。本当の終戦記念日は、長女と次女が進学のため東京に出て行った日だという。その日以来、「抜け殻」だとも。3人がそれぞれ成長した近況にも触れている。長女は今年、大学を卒業し、南相馬市にUターン。看護師の仕事に就こうとしているという。

「ほめ日記」が生きがいのおばあちゃん

その他に、クリーニング会社の経営者として避難によって人口が減った中でも活路を見出した女性、自分をほめる「ほめ日記」を震災2年目から書き始めた農家のおばあちゃん、創業150年の魚屋がシャッター街になっていた駅前商店街で震災以来初めて「新築開店」した話が収められている。

「被災生活今日で1年10か月近くになる。留守の我が家に帰り、除草をし、一泊して帰る。よく頑張っておるね。体に気をつけ、くじけず頑張ろうね」

南相馬市鹿島区の羽根田ヨシさん(当時83歳)が、雑誌「家の光」が募集した「あなたのほめ日記」に応募した羽根田さんのはがきだ。「ほめ日記」を推進しているNPO法人「自己尊重プラクティス協会」代表理事の手塚千砂子さんの目に留まり、同誌2013年8月号に掲載された。

「一見すると被害が少なく見える福島浜通りの人々の、目に見えぬ放射線に怯える毎日に目がいかなかったと痛感した」

手塚さんは羽根田さんを訪ねて面会した。その後、全国各地の講演会場で、福島原発被害の実情を訴えるとともに、羽根田さんのことを話しているという。

東日本大震災、福島原発事故から10年を迎え、多くの本が刊行されている。その中にあって、郷土に残りながら日々を耐えてきた人々の営みの記録は、勇気を与えてくれる1冊である。(渡辺淳悦)

「内心被曝 福島・原町の一〇年」
馬場マコト著
潮出版社
2500円(税別)

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