1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

AKBスピリット海外で根付く、元メンバー伊豆田莉奈と仲川遥香の献身…文化の壁越えたアイドル力

読売新聞 / 2024年8月31日 15時5分

一見楽しげでもガチな対決が続々 (c)IAM

 タイにはAKB48の姉妹グループが二つある。首都バンコクのBNK48、北部の古都チェンマイのCGM48だ。それぞれ元AKB48の伊豆田莉奈さん(28)の献身によって成長した。連載「AKB伝説」の最終回は海外に根付いたAKB48スピリットについて書く。(編集委員・祐成秀樹)

タイで合同の大運動会、会場一体で6時間

 世界がパリ五輪でわいていた7月28日、タイの名門タマサート大学の体育館ではBNK48とCGM48合同の大運動会「ネコウォーズ」が開かれ、1000人以上のファンがつめかけた。

 午後1時頃にミニライブが始まった。「君はメロディー」「365日の紙飛行機」などのAKB48ナンバーに加え、オリジナル曲も披露。歌声はさわやかで、ダンスは小気味よくレベルは高い。時折交じる日本語歌詞が心に響く。その中でBNK48・1期生の日系人・さっちゃんが卒業を発表した。

 運動会では4チームに分かれ、ポートボール風の球技、芋虫競争、猫と恐竜の追いかけっこなどユーモラスな6競技に真剣に挑んだ。伊豆田さんも参加していた。「新しい子も入ったし、私もちょっと年を取った。少し盛り上げるつもりで楽しみました」

 閉会式が始まった時は7時を回っていたが、途中で帰るファンは少ない。女性ファンも目立つ。「タイ人って何でもエンジョイできるのよ」とその一人のナルギさん(35)。「私はバスケットボールの選手。BNK48のシステムはスポーツチームに似ています。私も頑張らなきゃと思う」。男性ファンのワティットさん(30)は「握手会などに会いに行って、メンバーのことを色々勉強するうちにファンになった。みんな元気でかわいい。ポジティブパワーを上げてくれます」と話した。

フォーチュンクッキー人気爆発、王女も歌い踊る

 BNK48の人気が爆発したきっかけは、2017年に出した2枚目のシングル「恋するフォーチュンクッキー」。伊豆田さんも選抜メンバーとして参加した。日本と同様に覚えやすい振り付けも受けて、18年にはYouTubeの再生回数が1億回を突破。若者向け音楽イベントでウボンラット王女が同曲を歌い踊った。

 伊豆田さんは10年にAKB48に入った。「全盛期でした。前田敦子さん、大島優子さん、高橋みなみさんら数々の大先輩を見て、学ぶことがたくさんありました」。バラエティー番組で人気が出たが、「海外から48グループを盛り上げたい」と思い立ち、17年に 揺籃 ようらん期のBNK48に移籍し、AKB48スタイルを伝承した。「最初はJ―POPのリズムが取れない子もいたし、ダンスの先生も『タイはこうだ』と教えていた。だが、日本ではこうやっていると頑張って伝えました」

CGM48メンバー兼支配人に

 19年にはCGM48の発足に合わせ、メンバー兼支配人として移籍した。仕事は幅広く、運営スタッフと話し合って新曲を歌うメンバーを選抜するほか、イベント出演者の人選やダンスの指導も行う。「『大人』の枠で見られるのが嫌でした。メンバー兼支配人ならメンバーにも寄り添えて、大人側の意見も分かります」

 チェンマイはバンコクから鉄道で半日ほどかかる。CGM48の誕生は地元の若者に歓迎された。「わざわざバンコクに行かないでいい。気軽に応援できるのがうれしかった」とメンバーのジンジンさん(22)。

 タイではK―POPや同国独特のT―POPが人気だ。「T―POPの歌手はカッコ良く決めるイメージですが、CGM48は明るく元気。ダンスを学ぶと見たことがない世界が広がりました」とナナさん(21)。

初オリジナル曲「マリ」

 コロナ禍に見舞われると、寮生活をしていたメンバーは実家に戻った。残った伊豆田さんはスタッフとどう活動するべきかミーティングを重ねた。「誰一人日本語を話せない。お陰でタイ語が上達しました」

 苦しい中、力を注いだのは、21年に出した初のオリジナル曲「マリ」の制作だ。チェンマイらしさにこだわった。「マリ(ジャスミン)の花って白くて純粋で小さい。普段は目立たなくても集まれば大きくきれいな花になる。そのイメージをCGM48と掛け合わせて歌詞を書いてもらいました」

 タイ北部の伝統文化の要素を楽曲や振り付けに取り入れた。ミュージックビデオには民族衣装で踊る場面もある。「偶然見た人が、きれい! チェンマイに行きたいと思ってくだされば」

 タイにAKB48精神を伝えて7年。伊豆田さんは11月に卒業する。「全てを伝え終えてはいませんが、ここで辞めないと、いつまでもいられてしまいます」

 その話題になるとジンジンさんが涙ぐんだ。「莉奈さんは疲れていても病気になっても負けなかった。さびしいです」。ナナさんは「14年間アイドルとして頑張られた。少しは休んでくださいね」とねぎらう。

 卒業後は日タイ間の「架け橋になる仕事をしていきたい」という。思えばアイドルが築いた様々な「架け橋」をこの連載で紹介してきた。これからもAKB48がアジア各地に拡散したアイドル力が笑顔の輪を広げることを期待したい。

仲川遥香さん、インドネシアでもっとも有名な日本人に

 AKB48から海外に 飛翔 ひしょうする道を ひらいたのが仲川遥香さん(32)だ。インドネシアのJKT48で人気者になり、「この国でもっとも有名な日本人」とも呼ばれた。

 仲川さんは柏木由紀さんと同じ3期生。2012年に、発足間もないJKT48に移籍した。「単純に楽しそう。海外に姉妹グループが出来たのだから、自分に何ができるかを考えました」

 インドネシア語がよく分からない状況で、ライブで話すことを求められた。そこで「覚えた単語はためらわず使う」「分からないことは質問する」ことを実践した結果、約半年で話せるようになった。

自由な番組が私に合った

 ただ、当初は抑揚や言葉の用法も不正確。変なインドネシア語をバラエティー番組で連発すると大受けして人気者になる。「きっちり構成が決まった日本の番組が得意じゃなかった。インドネシアの番組って好きなことがやれて好きなタイミングで話せる。自由な作り方が私に合っていました」

 JKT48では、チームTのキャプテンになってから苦労した。アイドル文化のなかった国だけにレッスンの必要性を理解できないメンバーもいて、厳しく接すると反発された。そこで納得いくまで話し合う場を持つなど懸命に向き合って乗り越えた。「AKB48で6年やったプライドを置いた。一生懸命な姿を見て感じ取ってくれたのでは」

 16年の卒業後もインドネシアで活動する。「私に合っている国。みんな人間味がある。嫌なことは嫌というし、困っている人がいれば絶対助けます」

 今までアメーバ赤痢、デング熱、腸チフスを経験した。「病気にかかるにつれて、体がインドネシアに慣れた。海外に出るとうまくいかないことはある。それを楽しめるかどうかで生活は変わってきます」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください