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「雪冤」目前に他界した弁護団長、「開かずの扉」こじ開けた20年…袴田さん26日再審判決

読売新聞 / 2024年9月24日 5時0分

亡くなった西嶋団長の写真を持って静岡地裁に入るひで子さんら(1月16日、静岡市で)

袴田さん再審判決へ 翻弄<下>

 1月16日、静岡地裁。袴田巌(88)の再審第6回公判に向かう姉・ひで子(91)の手には、弁護団長・西嶋勝彦の写真が握られていた。その9日前、82歳で他界した西嶋。「もう半年長く生きてくれれば、無罪判決を聞けたかもしれないのに」。ひで子は西嶋を悼んだ。

 西嶋は1989年に死刑囚が再審無罪となった「島田事件」などの弁護で手腕を発揮した。翌年頃から巌の弁護団に加わり、2004年に団長となった。

 4年ほど前から間質性肺炎を患っていた西嶋。昨年10月に始まった再審公判には、鼻に酸素チューブを付け、車イスで出廷した。「裁かれるべきは、ひどい 冤罪 えんざいを生み出した我が国の司法制度だ」。初公判で読み上げられた冒頭陳述には、西嶋の思いが刻まれていた。

 「西嶋先生が精神的な支えとなり、引っ張ってくれた」。30年以上、弁護団で辛苦を共にした田中薫(77)は「先生の思いは裁判所に必ず届くはずだ」と信じる。

 再審弁護の負担は極めて重い。有罪が確定した裁判をやり直すには、被告に無罪を言い渡すべき明らかな証拠を自力で新たに見つける必要がある。

 弁護団には今でこそ30人ほどの弁護士が名を連ねる。だが、1981年に再審が申し立てられた頃は7人だった。日本弁護士連合会から資金援助があったものの、個々の弁護活動は基本的に「手弁当」。何より難しかったのは、再審という「開かずの扉」をこじ開ける「新証拠」の発掘だった。

 人員体制に情報量……。検察と比べて不利であることは火を見るより明らかだ。第1次再審請求審では、捜査で集めた全証拠を持つ検察に何度も証拠開示を求めたが、突き返された。

 DNA型など専門家に鑑定の相談をしようにも門前払いされることも多かった。弁護団事務局長の小川秀世(72)は「国家権力を敵に回したくないと思った人もいるだろう」と振り返る。

 2008年からの第2次再審請求審で、つてをたどって巡り合った法医学者らの協力を得られた。巌の無罪の可能性を示す鑑定書を新証拠として提出。これが決め手となり、開かずの扉をこじ開けた。検察が異議を唱えて一度は取り消されたが、東京高裁で昨年3月に再審開始が確定した。

 検察側は再審公判でも「袴田は犯人だ」とし、主張に沿った7人の専門家による共同鑑定書を提出して死刑を求刑した。

 「裁判官が真実に目を向けていれば、確定審の段階で無罪となった事件だ」。控訴審段階から50年ほど巌の弁護人を務める福地明人(84)はそう考えている。

 控訴審の実証実験で、「犯行着衣」とされたズボンを巌にはかせようとしたのが福地だった。ズボンは小さすぎて、ウエストまで上がらない。福地が引っ張り上げようとすると、ズボンが破れそうになり、裁判官に「やめて」と制された。福地は静岡地裁の死刑判決を覆せると思ったが、期待は外れて、1980年に最高裁で死刑が確定した。

 福地は弁護方針の相談のため、何度も巌と東京拘置所で接見している。巌は冷静で穏やかで、年齢が近い福地を「体に気を付けてください」と気遣った。

 逮捕から58年を経て巌の 雪冤 せつえんに限りなく近づいた弁護団。「それでも」と福地は思う。「袴田さんの人生は無罪が出ても今さら取り返しがつかない。その責任の一端は、確定審で救済できなかった我々にもある」

 26日に迫る再審判決。当初集まった7人の中には鬼籍に入った弁護士もいる。巌やひで子、そして弁護団の長く 翻弄 ほんろうされた戦いが、大きな区切りを迎えようとしている。

(敬称、呼称略。この連載は、糸魚川千尋、静岡支局 貞広慎太朗、浜松支局 中島和哉が担当しました)

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