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国内外のゲーマー激震の「ウメハラ復帰」、梅原大吾が「回り道」から劇的カムバックできた理由

読売新聞 / 2024年12月13日 10時0分

2009~10年に「EVO」で連続優勝を果たした梅原さん

 17歳で格闘ゲーム世界一の座に上り詰めるも、「食べていけない」とゲームから離れる決断をした梅原大吾さん(43)。しかし、その後に始めた慣れない仕事も、長くは続かなかった。(読売中高生新聞編集室 星野達哉)

しつこい仲間に誘われて

 「ゲームしかやってこなかったので、学歴も資格も経験も何もなく、自分に自信がありませんでした。飛び込んだのはマージャンの世界。プロ制度があり、賞金も得られたからです。ゲームでつちかった勝負強さも生かせると考え、なんとか腕を磨いて生計を立てていこうとしました。でも、いざ始めてみると、まるで資格の勉強をしているような感覚でした。3年ほど真剣に取り組み、勝てるようにはなったものの、ゲームみたいに情熱がわかず、結局やめてしまいます。

 その後、親が医療関係の仕事だったこともあって、身近に感じた介護の仕事に就きました。ストレスもなく、のんびりした雰囲気で、ようやく腰を落ち着けられそうな職場でした。しかも、お世話している相手から『ありがとう』と言ってもらえる。社会の中で役に立っていることを実感できました。とはいえ、仕事を覚えるのが遅くて、決してテキパキと動けていたわけでもありません。生きていくことに精いっぱいでした」

ようやく続けられそうな仕事を見つけ、悪戦苦闘していた時、青春時代に熱中したゲームと再び出会い、梅原さんの心は揺れ動く。

 「『ストリートファイター』の新作が10年ぶりに稼働し、ゲーム仲間から『またやろう』と誘われました。ずっと断っていたんですが、あまりにもしつこいので、『1回だけ』と渋々ゲーセンに行って始めたら、自分でも驚きました。昔のように自由自在にキャラクターを操作でき、久しぶりだったにもかかわらず、上級者にも勝ち続けられたんです。その時に『得意なことあったじゃん』って思い出しました。

 その後、大会にも参加するようになると、国内外のゲーマーの間では『どうも梅原が復活したらしい』と大きなニュースになっていたみたいで。自分としては、趣味でゲームをやろうと軽い気持ちだったのですが、世界大会にも特別枠で呼ばれるまでになりました。そうしたら、なんと、その大会で優勝してしまったんです。

 大きなブランクがあったので、周囲には劇的な展開だったようです。試合を見ていたアメリカの企業が、スポンサーに名乗りをあげてくれ、プロゲーマーへの道が開きました。介護の仕事がやっと板についてきた頃だったので、何か月も悩みました。でも、またゲームに100%注力できると思ったら、チャレンジしたい気持ちがふつふつとわいてきました」

回り道をして気づいたこと

けわ しい道を切り開き、プロゲーマーの先駆者となった梅原さん。その経験から、一つだけ断言できることがあるという。

 「中高生の頃から、ゲームをしている自分にコンプレックスを持っていました。僕の人生は『この道でいいんだ!』という確信が欲しかったわけなんです。だから、誰よりもやり込んで、世界一になれば、それが手に入るのかと思っていた。ところが、そうじゃなかった。

 でも、回り道をして、結局はゲームで勝ち続ける以外に、自分が納得できる道はないと気づきました。原動力になったのは『ゲームが好きだ』という単純な気持ちです。そして、僕のプレーに熱狂したり、感動したりしてくれる人たちがいたからこそ、夢を追いかけることができたんだと思います。

 僕自身が相当苦しんできたから、中高生のみなさんに軽々しく『夢を追い続けろ』なんていえません。でも、一つだけ断言できるのは、もし、あなたに本気で『好きだ』と思えるものがあるのなら、納得がいくまでとことん向き合ってみるべきだということです。そこまで情熱を傾けられる何かが見つけられるとしたら、それは、あなたの才能だから」

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