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みんなが知らない「きょうだいケアラー」って何? 経験者の2人が語る現実

47NEWS / 2021年10月25日 10時30分

「ヤングでは終わらないヤングケアラー」を執筆した仲田海人さん(左)木村諭志さん

 

 病気や障害のある家族の面倒をみる子どもがいれば「偉いね」とほめたくなるかもしれない。しかし、毎日、面倒をみる子どもは、自分のことが後回しになっても、家族の身の回りの世話や見守りを続けるため、学校を休んだり、宿題を提出できなかったりすることもある。

 その中でも「きょうだいケアラー」と呼ばれる兄弟姉妹の世話をする子どもは、自分も成長過程の子どもなのに、親の代わりのような存在になってしまうことも。子どものころ、姉のケアを経験した2人が実情を発信しようと共著で「ヤングでは終わらないヤングケアラー」(クリエイツかもがわ刊)を出版した。本に込めた思いを、それぞれに聞いた。(共同通信=山岡文子)

 ▽一変した日常

 今は作業療法士として働く著者の1人、仲田海人さんは、小学校高学年のときに3歳上の姉が統合失調症になった。
 ―子どものころ、お姉さんに起きたことを、どのように受け止めていましたか。
 「僕は整理整頓が苦手な、だらしない弟でしたが、姉は片付けを手伝ってくれる優しい、しっかり者でした。それなのに、両親と大げんかを繰り返すようになり、包丁を持って暴れることが増えました。僕はわけが分からず、ただ混乱していました」
 ―自分の将来を、どのように思い描いたのでしょうか。
 「中学生や高校生になるころには『ずっと姉の面倒をみなければならないのだろうか』と覚悟したこともあります。相談をしていた福祉の担当者に『いつか親が死んだら面倒をみるのは、あなた』と言われたこともあります。でも、きょうだいをケアする人にも、その人なりの人生があると知ってほしいです」
 ―どのように仕事を選んだのでしょうか。
 「姉の面倒をみるつもりで、高校生のころ自分で調べてリハビリテーションに出合いました。その中でも病気や障害のある人の日常生活を支える作業療法士の仕事がいいと思ったんです」
 


仲田海人さん

 ―大人になっても実家で暮らしたのでしょうか。
 「僕は栃木県那須塩原市で生まれ育ったんですが、隣の埼玉県内の大学に進み、初めて1人暮らしをしました。それでも作業療法士として就職するときには、地元に戻ることにしました。姉の世話をしなかったという罪悪感があったからです」
 ―お姉さんは、どんな生活をしていたのでしょうか。
 「病院か自宅の選択肢しかないと、家族も思っていたので、入退院を繰り返していました。でも僕が作業療法士になってから『グループホーム』という方法があると知りました。入所まで4年かかりましたが、ほどよい距離感になったと思っています。それまでは僕が親代わりになって、グループホームを探したり、いろいろな福祉の専門家に相談したりしていました。今は年に1、2回会って『元気? どうしてる』と話す、本来のきょうだいの関係に戻れたと思います」
 ―仲田さんは「栃木きょうだい会」の代表も務めていますね。
 「兄弟姉妹の世話を経験した18歳以上の人を対象にしています。きょうだいケアラーならではの体験を、安心して話せるピアサポートの場です。一人一人の問題を解決するというより、自分を客観的に振り返り、整理することを大切にしています」
 ―「家族会」とはどう違うのでしょうか。
 「親たちの前で、子どもはつらい体験を話しにくいと思います。そもそも親も、どうしていいのか分からないので、問題が起きているのです。きょうだいケアラーを支援するには、親への支援も不可欠です」
 ―今、きょうだいのケアをしている人たちに伝えたいことは。
 「ずっとケアが続くのではという不安を抱えている人は多いと思います。とても厳しい現実ですが、それでも、自分が納得できる道を歩んでほしいです」

  ×  ×  ×
 なかた・かいと 1993年生まれ。栃木県内で小児発達外来の作業療法に従事。


共著で執筆した「ヤングでは終わらないヤングケアラー きょうだいヤングケアラーのライフステージと葛藤」

 ▽誰にも言えない

 「ヤングでは終わらないヤングケアラー」のもう1人の著者、木村諭志さんも、統合失調症になった姉の世話をした。今は看護師として働いている。
 ―子どものころ、どんなことがつらかったでしょうか。
 「中学生のときに4歳上の姉が発症して以来、親から『将来は、おまえが面倒をみろよ、誰にも言うなよ』と言われ続けました。両親は共働きだったので、家では私と姉だけになることも多かったんです。暴言を吐いたり、暴力を振るったりする姉が恐ろしくても、薬をちゃんとのんでいるのかどうかの確認や、見守りをやりました。学校にも相談できませんでした」
 ―将来は何をやりたいと思ったのでしょうか。
 「高校を卒業しても、やりたいことが分からなかったので、友人に誘われて21歳までスーパーでアルバイトをしました。その後、認知症になった祖母のケアをしたいと思い、介護福祉士の資格を取りました。しかし、姉の面倒を見続けなければならないと思い込んでいたので、医療の知識も身に付く看護師を目指すことにしました」 


ヤングケアラーは発達障害や知的障害のあるきょうだいを世話することも(「ヤングでは終わらないヤングケアラー」より)

 ―お姉さんとの関係は変わりましたか。
 「看護師に必要なスキルである『傾聴』を学んだおかげで、姉と会話ができたときは本当にうれしかったです。でも看護実習で、うまくいったことを『姉にも生かせるのでは』と思い、無理強いをして怒らせてしまったこともあります。当時の私は、看護師として姉と接するべきなのか、きょうだいとして向き合うべきなのか、葛藤していました。思い返すと、姉はいつも、きょうだいとして接したいと思っていたようです」
 ―木村さんの生き方や考え方は、どう変わったのでしょうか。
 「看護学校で先生に『家族と距離を取ることが大切』と言われたときに目からうろこが落ちました。それまで1人暮らしをしようなんて、考えたこともありませんでしたから。就職を機に家を出ました」
 「看護師として働いているうちに『もっと勉強したい』と思うようになり、35歳のときに大学3年生に編入しました。37歳で卒業し、働きながら大学院に入り、今年の3月に修了しました」
 「大学院時代には、結婚して新しい家族ができました。恩師に『きょうだいとしての人生を歩めばいい』と背中を押してもらったことも大きいですし、研究の一環で出会った、きょうだいケアラーの中には結婚した人がいると知ったことも大きいです」
 ―結婚にハードルを感じましたか。
 「恋愛よりも、ハードルは高いですよね。相手に姉のことを話した後も、ご両親は、どう受け止めるかが心配でした。でもきちんと理解してくれました。私が結婚することで、姉にも新しい家族ができたんです。将来、私たちに子どもができたら、姉にとっては、おいか、めいになります。これは本当にすごいことだと思いました」

 ―将来は、お姉さんの面倒をみるのでしょうか。
 「まず姉の気持ちを確認したいですね。今は長期入院している姉も、私も納得できる形を、ソーシャルワーカーや精神保健福祉士と相談しながら考えたいです」


木村諭志さん

 ―木村さんのご両親は、どう考えているのでしょうか。
 「私が結婚を決めたとき『実家に帰ってこないのか』と言っていました。でも妻を紹介したら、とても喜んでくれて、なぜか、その後は私が姉の世話をすることについて、何も言わなくなりました。親しい親戚にも姉のことを話すようにしたようです。私はずっと親を変えたいと思っていましたが、私が変わったことで親も変わりました」
 ―本を出版した意義はなんでしょうか。
 「本には、姉について触れた私の体験談も紹介されています。両親にまだ詳しい説明をしていないので、まとまった休みが取れたら本を渡すつもりです。本をきっかけに、あらためて家族で話したいです」
 「私はきょうだいケアラーや恩師から、自分が納得した生き方はできると教わりました。本で、それをつないでいきたい。私だけでなく、つらい体験をしている人にも幸せになってほしいからです」

  ×  ×  ×
 きむら・さとし 1980年生まれ。京都府出身。関東地方の精神科病院で勤務。

 31日に二人が体験を語る有料の出版記念セミナーが、オンラインで開催される。詳細はクリエイツかもがわのホームページ。

https://www.hanetama.net/event-details/yc-event

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