吉永小百合の「過去・現在・未来」(10)ルリ子は監督に異を唱えた

アサ芸プラス / 2018年4月4日 5時57分

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〈拝啓〉吉永小百合様

 小百合ちゃん、あなたはオードリー・ヘプバーンが大好きでしたね。かつて私の自宅に遊びに来た時、写真集をプレゼントしたことを思い出します。

 ある時、「徹子の部屋」に出演したあなたが「ヘプバーンも年を取ったなと思った」と発言していました。私はそれを聞いて、引退を考えているんじゃないかと思ったのです。「自分も老いさらばえていく。このままでいいのか」と感じつつあったんじゃないですか。今回、あなたの通算120作目の映画「北の桜守」を観て、引き際を間違えたな、と思ったのです。

 この映画でひとつだけよかったなと思ったのは、二度目の共演だった、夫役の阿部寛でした。包容力と深みがあり、あなたをしっかり受け止めていて、温かさ、優しさ、慈愛が滲み出ていて‥‥。それだけは高得点だったといえるでしょうね。

 とにかく事大主義というのか、あなたの志向が、かつてのそれとはすっかり違ってきています。サユリストとしては悲しい思いです。それが「北の桜守」に象徴されていることに、気が付きませんか。

 それは例えば、浅丘ルリ子の女優人生と比べてみれば、よくわかるでしょうね。ルリ子は「同じような、決まりきった役をやっていてもつまらない」と言っています。確かに観るほうも、偉大なるマンネリというか、「またこれか」となってしまう。ルリ子はだから、実際に変化してきたんです。

 あなたも出演した「男はつらいよ」への出演依頼をルリ子が受けた際のこと。それまでのマドンナは誰もだいたい同じふうな感じだったでしょう。美しいけどそんなにハミ出さない、邪魔にならない、自己主張しすぎない。優しく穏やかで、常識的で。山田洋次監督も最初はルリ子に、北海道の酪農家の家で乳搾りをさせようかと思っていたんです。

 ところが、監督がルリ子本人と会ってみたら、「私のこういう細い体で、そういうのが合うと思いますか」と言う。女優だから演技はできるだろうけれど、それは違うと思ったのです。

 そして、ルリ子が演じたリリーというドサ回りの歌手は、寅さんの女版のような感じでした。けれど、そんな役の彼女が加わったことで、あの映画は一気に活性化した。まさに異色のマドンナになりました。監督自身も「最もマドンナらしからぬ、正反対なタイプだった」と述懐しています。

 一方のあなたの演じる役はというと、正直なところ、ある時期から本当にパターン化してつまらなくなったな、と私は思うのです。ただマジメでおとなしく、人を困らせたりしない。意外性も新鮮味も発見も面白味も足りない。笑わせたり、クスリともさせてくれない。

中平まみ(作家)

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