ザ・ドリフターズ 仲本工事が明かす「全員集合」裏話(6)「加藤の付き人」志村が加入

アサ芸プラス / 2019年9月28日 17時57分

写真

 メンバーの名前については、ハナ肇さんに「もっとわかりやすくしろ、芸能人の名前は水に関係があるほうが縁起がいいゾ」と言われて、一斉に変えたんです。

 加藤は加トちゃんだから加藤茶にしろ。荒井さんは注でいい、サンズイがついている。ボクは工事にしろと。工事は水とは関係がないと言ったら、「工事の時、コンクリートを作るのに水を使うだろ。それに工事は子供も老人も、街のどこででも見るからわかりやすい」って。だけど、高木さんは見た目からブーでいい、いかりやさんは本名は長一だけど、偉そうだから長介にしろ‥‥。でも、それがよかったんだね。

「全員集合」は最高視聴率が50%を超える人気番組になりました。全国を回ったけど、忙しすぎてどこも印象がないんだよね。空港か駅から公会堂の楽屋に入って、会場とホテルを行ったり来たり。公演が終わったら、ホテルで食事ができる9時半までには戻ろうとか。翌日は移動。そんな毎日だから、周りを見る余裕なんかない。

 ドリフが変わったのは、荒井さんが辞めることになった74年かな。荒井さんはいかりやさんよりも年上です。ドリフの動きについていくのが「もうしんどいよ」ということだったと思う。コントでもプライベートでも、あのまんまのマイペースな人でしたね。

 いかりやさんは4人のままやるか、5人でやるか悩んだと思うよ。メンバーのバランスの問題があるから。それで誰か入れようとなって、加藤の付き人だった志村けんになった。志村が入って、いかりやさんとメンバーの年齢差が10歳だったのが20歳に広がった。この影響はあるよね。ただ、荒井さんが辞めるまで1年間は6人でいくと。新たに入って溶け込むまでは時間がかかるからね。志村は一生懸命だったけど、最初はリラックスした感じがなかった気がする。吹っ切れたのは「東村山音頭」がウケてからじゃないかな。

 荒井さんはその後、「時間ですよ」とか刑事ドラマ、時代劇でご活躍されて、2000年に亡くなりました。最後にご一緒したのは、正月恒例だった富士フイルムのコマーシャルの撮影でしたね。病気で腹水がたまって抜くこともできない状態だった。撮影の合間は横になっていて、「荒井さん、大変ですね」と言ったのが最後の会話でした。奥さんがしっかりしているし、やりたいこともやった。いい人生だったと思います。

 4年後の2月にいかりやさんが亡くなった時、ボクは登別のホテルで1カ月の座長公演をやっていました。病院通いしているとか声が出なくなったと聞いていたから心配はしていたけど、会う機会がなかったことだけが心残りです。夜の公演と翌日の公演を休んで葬儀に出て、その日のうちに登別にトンボ返りしました。いかりやさんを乗せた霊柩車が青山斎場から出る時に、いっぱい集まった人が「長さ~ん」と叫ぶのを見て、こんなに親しまれていたんだなと改めて思いました。

峯田淳(コラムニスト)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング