小橋建太「引退決断の真相」(3)ハンセンに殴られてキレた

アサ芸プラス / 2013年5月9日 9時59分

 みずき夫人は、2月に、外国人レスラーで小橋の最大のライバルだった、スタン・ハンセンとテレビ取材で一緒になった際、ハンセンから「take care him(彼を気遣ってくれ)」と優しく話しかけられたという。

 自分のプロレス人生で、ハンセンに出会えたことは大きかった。コテンパンにしてくれる人がいたから、トップに上がっていけたんです。ハンセンとはいろいろ因縁あって、おそれ、尊敬、感謝、怒り、いろんな感情が思い浮かびますね。

 でもハンセン、今はにこやかな顔しているけど、現役時代のあの人は、本当にひどかったんですよ。

 忘れもしませんが、95年8月の大館での試合では、僕がハンセンのブルロープを奪って殴りつけたら、怒り狂って、パイプ椅子で思い切り殴り返してきた。それで左腕の肉がえぐり取られ、骨まで見えているんですけど、そこをさらにブルロープで殴りつけてきた。

 僕はその時、何が起こっているのか、頭の中が真っ白になりましたよ。

 ゴングが鳴らされて、セコンドに控え室に連れ戻されたんですけど、その時、頭の中でブチッと音がした。

 キレるというより、「このままでいられない、お返しせねば」という感情だったんじゃないですか。それで、椅子を持って外国人控え室に乗り込んだ。

 本人は記憶がないというが、控え室でハンセンと常軌を逸した乱闘が繰り広げられたらしく、メインに出場の三沢が、入場曲が流れているにもかかわらず、止めに来たほどだったという。

 あのあと、馬場さんの奥さん、元子さんが傷の具合を見て、慌てて救急車を呼んでくれたんです。

 でも馬場さんからは、「プロレスラーは病院に行くもんじゃない」と教えられていました。まして救急車に乗るなんて‥‥。

 だから「乗りません」と断ったんですけど、他の先輩が「元子さんがせっかく呼んでくれたんだから、乗ってこい」って。22針縫って帰ってきたら、ホテルで馬場さんが葉巻吸っていて「ご迷惑かけました」と言ったら、ニコッと笑ってくれた。

 口に出さなくてもわかりました。それは、「明日の試合は休めと言っても、どうせお前は出るんだろうな」という意味なんです。

 それで次にハンセンと対戦した時、彼はその傷口を狙ってきましたからね。思いっ切りエルボーを叩き込んできた。怒りに震えましたよ。

 でも、その5日後の最終戦では、そのハンセンとタッグを組まされたんです。開幕前から決まっていたことで、プロだからしかたないけど、結果、壮絶な仲間割れをしました(笑)。

 5.11引退記念興行「FINAL BURNING in Budokan」のチケットはすでに完売状態。小橋の最後の雄姿を見てもらうため、全国15の映画館で、日本武道館の様子を完全生中継するライブ・ビューイングも実施される。

 今のコンディションで、できるかぎりのものを見せたい。完全燃焼して自分の25周年の最後としたい。

 僕は、後悔なんか何一つないです。膝、首、腰が日常生活にも支障を来すほどダメージを受けていますが、「あの時、こうすればよかった」というのはない。それは自分の人生を否定することだから。プロレスラーを続けたければ、どんな形でもリングに上がれるかもしれないけど、僕は、“自分の試合”ができないのなら辞める。それだけ真剣にプロレスと向き合ってきましたから。

 引退後の計画は、まったくないです。「小橋さんのことだから、引退してもジム通いをやめられないでしょう」とか言われますが、その前に働かないといけないので(苦笑)。次の人生も、プロレスみたいに燃えられるものを見つけたい。後輩に道筋を見せたいんです。引退したあとのプロレスラーはこうあるべきという道筋を見せてあげたい。今、46になって、年を取るのも悪くないなと思えるようになってきたんです。

 20、30、40代とそれぞれの青春がある。それを探していきたい。

 そしてファンの皆さんには感謝しかない。皆さんの応援のおかげでここまで頑張れた。引退したあとも、心配をかけないよう、元気な姿をお見せしたいと思っています。

アサ芸プラス

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