萩本欽一「南田さんの葬儀で心底に染みた長門“兄貴”の不器用すぎる愛情」(2)

アサ芸プラス / 2013年7月18日 10時0分

廊下の隅に出された三面鏡

 おふたりが家を新築した時も遊びに行って、南田さんの女らしさに心を打たれました。

 エチケットとして寝室を見るのは遠慮したのですが、「欽ちゃんならいいよ」と、2人が言ってくれたので、ずうずうしく拝見することにしました。

 見て驚いたのは、広い部屋なのに南田さんの鏡台が寝室ではなく廊下の隅っこに出してあることでした。

 普通は夫婦の寝室って、奥さんの三面鏡がドデーンと部屋の中に置いてあるものです。それが廊下の隅っこに‥‥。

 それを見て、僕は南田さんのつつましさに感激しました。

 どんなに長い間、一緒にいて遠慮のいらない夫婦でも、夫にお化粧しているところを見せない。そんな心遣いってやっぱり凄いと思います。

 でも、控えめで優しい奥さんに対して、長門さんって言いたい放題です。

「オイ! 洋子、コーヒー!」

「ちょっと飲み過ぎよ」

「うるせぇ! 飲むったら飲むんだ! 黙って持って来い!」

 長門さんは南田さんより1歳年下なのに威張っていて、優しい言葉をかけるのを聞いたことがありません。

 それである時、南田さんが外出している時に、ご自宅で長門さんに尋ねたことがあります。

「長門さん、あんなに気を遣ってくれる洋子さんに、どうしてもっと優しくしてあげないの?」

 すると長門さんは「欽ちゃん、オレな、洋子がいないと何もできないんだ。あいつには本当に感謝してるんだよ」。しみじみとした口調でそう語り、亡くなったお父さんの部屋に案内してくれました。

「親父が生きていた頃この部屋は、消毒液のニオイが充満していて、壁は投げつけられた食器なんかで、ボコボコに穴があいていたんだよ‥‥」

 長門さんのお父さんの澤村國太郎さんは寝たきりの生活で、南田さんは長門さんと結婚してからお父さんが亡くなる(74年死去)までの13年間、1人でずっと介護を続けていたのです。

 お父さんは南田さんに頼りっきりで、お手伝いさんなどを近づけさせなかったそうです。ただ、それでも体が不自由なので、イラだつのか、壁に物を投げつけたりしたのだとか‥‥。

「洋子の手はずっと消毒液のニオイがしててさ、『ああ、オレは洋子をクレゾールのニオイのする女優にしてしまった』って申し訳ない気持ちでいっぱいだった。オレは洋子には生涯頭が上がらないし、感謝してるんだよ」

 僕が「じゃあ、優しくしてあげればいいのに」と言うと、「バカ! それとこれとは別だ!」。

 南田さんを心の中では大事にしながらも、言葉にはできない。南田さんに甘えっぱなしの、駄々っ子でヤンチャ坊主の長門さんでした。

 南田さんが亡くなったのは09年(享年76)で、長門さんもその2年後の11年にあとを追うように亡くなりますが(享年77)、南田さんの葬儀の時の長門さんの姿が今でも忘れられません。

「洋子と最後の写真、撮っていいだろ? 亡くなった人と2人の写真はダメなのかよ? いいだろ? 教えてくれよ、欽ちゃん!」

 声を詰まらせ、僕に詰め寄ります。

「洋子とオレの最後を焼き付けておきたいんだ。いいだろ? 早く返事しろよ!」

 泣けました。いかに南田さんのことが好きだったか、僕に訴えかける長門さんの悲痛な叫びでした。

アサ芸プラス

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