知られざる「怪人」タモリ伝(8)居候の極意は“卑屈にならないこと”

アサ芸プラス / 2013年11月26日 10時0分

 幻の素人芸人だったタモリこと森田一義は、山下や中村を中心とした「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパによって上京を果たす。早稲田大学を抹籍になって“都落ち”を味わって以来、実に7年ぶりのことだった。

 そして最初に住んだのは、中村の2DKの都営住宅に「居候」という形だ。

「でも1週間くらいしかいなかった。というのは僕の母が電話をかけてきて、たまたま彼が取っちゃった。ウチの母親は潔癖症なもので、見知らぬ男がいることを許さなかったんだ」

 その後のタモリは知人の家を転々とし、やがて、師と仰いだ赤塚不二夫宅に「破格の待遇」で居候生活。住居は4LDKの高級マンション、ベンツは乗り放題で、さらに赤塚から月20万円の小遣いまで支給される。こうして得た居候生活の極意とは「卑屈になるな」だったという。

 そんな同居人の最初であった中村は、後に「今夜は最高!」(81~89年、日本テレビ)のレギュラーとなる。音楽をベースとした上質なバラエティ番組として評価が高かった。

「終わってから20年以上が経つけど、今でも定期的にスタッフやレギュラー陣が集まって酒を飲む。そのくらい楽しい番組だった。もちろん、同窓会にはタモリも顔を出すよ」

 来年3月に「いいとも!」から解放されれば、また、おもしろい番組を始めるのではないかと中村は期待を寄せる。

 そして「いいとも!」で85年から4年半にわたってレギュラーを務めた渡辺正行は、1つ1つの場面を鮮明に思い返す。

「初めてグループ(コント赤信号)を離れて、ピンで『いいとも!』のレギュラーはうれしかったですねえ。もう、そのくらいメジャーな番組でしたから」

 もはや記憶に残っていないいくつかのコーナーを経て、大きく注目されたのは87年に始まった「13日の月曜日」だった。当時はアルタの同じスタジオで「いいとも!」と小堺一機司会の「ライオンのいただきます」がリレーで観覧できた。

「それは豪華すぎるだろうということで、観覧の人数分のコーラを用意。飲み干して底に『退場カード』が出た人は、スタジオから出て行くというルールで」

 出演者側も対抗して飲むのだが、ここでタモリの放った一言が渡辺の運命を変える。

「オレ、炭酸は飲めないから」

 ‥‥お前に任せるよ、というニュアンスである。以来、渡辺は観客を相手に「コーラの早飲み」を続け、プロデューサーの横澤彪から「コーナーにしちゃおう」の言葉をもらう。

「タモリさんから『すげえな、お前。オレにはとても飲めない』って感心されましたね。だって毎回、4本くらい一気飲みして、終わってトイレで吐いたこともありましたから」

 やがて渡辺は、タモリの度量の広さを知るようになる。

アサ芸プラス

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