それでも「福島で生きるということ」(3)プロレスラー・ゴージャス松野さん

アサ芸プラス / 2014年1月10日 9時56分

 震災から1000日以上が経過し、表面的には震災前の生活に戻ったように見えるが、その内面に抱えた葛藤や不安がいまだ解消されたわけではない。

 13年10月、福島市内で「東日本大震災復興イベント~がんばろう福島~『ゴージャスナイト』」と銘打たれたプロレス興行が催された。12年に続いて2年連続の開催にもかかわらず、びっしりと椅子を並べた福島体育館に1250人ものファンが集まる盛況ぶりだった。

 観衆のお目当ては、メインイベントの6人タッグマッチに登場した福島市出身のゴージャス松野氏(52)だった。試合中盤まで相手チームの卑怯な攻撃で攻め込まれた松野氏に、地元ファンからの声援が飛ぶ。その中には無料招待された仮設住宅暮らしの人たちからの檄もあった。その声に後押しされ反撃に転じる松野氏。最後は得意技の「ゴージャスワントーン☆ボム」で、マサ高梨選手をリングに叩きつけて勝利した。松野氏は試合後、ホッとした表情でこう話した。

「震災から3年目ですけど、これだけ元気なお客さんが集まってくれました。自分がやりたかったことは、元気を伝えること。それが伝わったと思うので大成功です」

 ゴージャス松野と聞いてピンとこなくても、「女優・沢田亜矢子さんの元夫・松野行秀氏」と言えばピンとくる人も多いだろう。90年代後半には沢田さんとの離婚騒動で芸能マスコミをにぎわせた。その後も美容整形を施してホストクラブに勤めたりしたが、いずれも一過性の話題にしかならなかった。

 ところが02年、「子供の頃から好きだった」プロレスの世界に飛び込み、“ゴージャス松野”のリングネームで登場。すでに11年のキャリアを誇る立派なプロレスラーだ。松野氏が福島在住を決意したのは、健康上の理由からだった。

「実はデビュー直後、抑うつ神経症になってしまいまして‥‥。離婚騒動や、その後の活動で世間からだいぶ叩かれ、精神的にボロボロでした。そこで03年に治療のために故郷の福島に戻ったんです。半年ほど入院生活も送りました」

 退院後は、通院を続けながらプロレス団体「DDT」に所属。そのかたわら、歌手としての活動も始め、内縁関係にある演歌歌手・田代純子さんとともに福島県内のクラブなどで歌ってきた。

 だが、08年になると再びうつ病に悩まされる。入退院を繰り返す生活。その年の11月には福島市内の飲食店で倒れ、一時は心肺停止状態となり生死の境をさまよった。一命は取り留めたが今度は、肝不全を発症。やむなく長期療養を余儀なくされた。

 そして、ようやくプロレス復帰に向けて動きだした最中に、東日本大震災が起きたのだ。理不尽な天災と人災がもたらした原発事故に、病み上がりの松野氏の気持ちは奮い立った。

「『地元のために何かできないか』と考え、東京都内での募金活動や(内縁の妻の)田代と一緒に避難所の慰問などをさせてもらいました。避難所で暮らす人たちと接することで、自分自身の甘さに気づかされました。例えば08年に倒れた時も、ずいぶん不摂生をしていました。肝不全になったのも、うつ病の薬と一緒に酒を飲んだのが原因だったくらいですから」

 震災以降、酒は一滴も飲んでいない。食事も高たんぱく低カロリーを徹底。その結果、20%近くあった体脂肪率は、1桁台にまで落とした。

 震災から2カ月後の5月には、リング復帰。福島から東京の後楽園ホールに駆けつけ、震災復興をアピールした。まだまだその道のりは険しいが、松野氏の故郷への思いは強い。

「14年も大きな大会を福島でやりたいし、田代と一緒にやっているカラオケ大会も続けていきたい。物質的な支援も大事かもしれませんが、仮設住宅で暮らす人たちが息抜きをできる“場”を提供することも同じくらい必要だと思うんです。それが僕の使命です」

 置かれた立場や職業が違えど三者三様、福島への思いは変わらない。郷土を思う気持ちがあるかぎり、福島はきっと、立ち上がるはずだ。

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