“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(3)

アサ芸プラス / 2014年2月21日 9時58分

 79年1月1日、新年の時報とともに、すべての民放から同じ曲が流れた。セイコーのCMに使われた「HERO(ヒーローになる時、それは今)」である。楽曲だけでなく、メンバーが映像に出演するインパクトもあり、初のチャート1位を獲得。まさしく、彼ら自身がヒーローとなった瞬間だった。

 人気作家の今野敏は、その当時に「東芝EMI」に入社している。

「新人研修として御殿場のプレス工場に行くんですが、それこそ1日中『HERO』が流れていましたね」

 今野は後に宣伝マンとして甲斐バンドを担当。大阪・花園ラグビー場での野外イベントにも同行したが、いつも感じたのはマスコミや文化人の注目度の高さだった。

「日本人が好きな哀愁を感じさせるロックで、それでいて反骨精神もあったところが琴線に触れたんじゃないでしょうか」

 80年代の甲斐バンドは、甲斐が宣言したように「スタジアムバンド」として未開の地を切り拓く。現在、ディスクガレージの社長としてコンサートプロモーターの第一線にいる中西健夫は、甲斐と関わって30年以上になる。

「最初に組んだ大きなイベントは、82年6月17日、品川プリンスホテルのゴールドホールでした」

 さほど大きな会場と思えないが、実は日本初の「椅子なし、オールスタンディング」で開催。6000人の観客が立ったままという前例のなさに、東京消防庁の説得から始まった。

 そして翌年、新宿の都有5号地──現在は都庁が建つ広大な空き地での「THE BIG GIG」は、今なお伝説として残る。

「誰もやったことのない場所というのが甲斐バンドの生命線。まわりは高層ビル群というのが最大のステージセットであり、ここでやろうと事務所サイドと意見が一致。ライブという言葉は使いたくないから『GIG』としましたが、今では一般的な用語として定着しましたね」

 ここでも新宿警察や区役所といった異なる管轄をタライ回しにされ、鬼気迫る執念で開催にこぎつけた。地表の温度が40度に達しようかという熱い日だったが、筆者も3万人の観客の1人として、2度と味わえない“摩天楼のエクスタシー”に酔いしれた。

 中西は年末恒例の「武道館2DAYS」や、両国国技館のこけら落とし公演などにも関わった。そして86年6月、武道館の5日間連続公演をもって解散。

「ずっと武道館が1番似合うのは甲斐バンドだって言い続けていた。それでも、5日連続で歌った人は誰もいない。さらに毎日、朝まで飲んでいたのに、最終日になるほど声が出る甲斐よしひろのボーカルには驚愕しました」

 再結成を果たしたバンドは、今年が40周年の節目である。今、円熟に達した〈九州少年〉は、記念アルバムやツアーでどんな一撃を見せてくれるのか──。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング