ドリフターズが「結成50周年」でも再起動しない理由

アサ芸プラス / 2014年3月28日 9時59分

 3月19日に渋谷で会見が行われた。フジテレビで77年から98年まで月1回のペースで放送された「ドリフ大爆笑」のDVDボックス化を記念してのこと。

 ただし、その場にいたのは所属事務所の井澤健社長のみ。志村けんや加藤茶はおろか、そんなに忙しくないはずの仲本工事も高木ブーも顔を見せないという寂しき事態だったのだ。

 そういえば04年3月20日にリーダーのいかりや長介が没してからちょうど10年が経つが、わずかにCM1本のみをのぞけば、残りのメンバー4人が顔を合わせての仕事はほとんどない。いかりや没後間もなくの「8時だヨ! 全員集合」(TBS)のスペシャル総集編でも、なぜか仲本だけはスタジオにいないという不可解さだった。

 こうした事態を招くのは、メンバー間のただならぬ人間関係にほかならない。たとえばドリフ内のユニットとして「こぶ茶バンド」が存在するように、加藤、仲本、高木の3人は良好。また加藤と志村も、かつて付き人だった時代の志村が加藤の家に書生として居候していた時代から、今なお尊敬の念は変わっていない。

 では誰が?

 線を引いていうと「志村と仲本の不仲」にたどり着く。この2人で有名なのは、81年に起きた「競馬ノミ行為事件」である。会見の場でリーダーのいかりやは厳しく叱咤し、志村の頭を何度も叩くという場面も見られた。この時、志村がボソッとつぶやいたのは以下のセリフ。

「自分だって5000円やってたじゃねえか」

 以来、いかりやと志村には埋められない溝ができ、いかりやの葬儀の場で志村が詫びたのは大きく報じられた。

 ただし「共犯者」であるはずの志村と仲本も、以来、口も聞かない間柄になってしまった。加藤や高木は結成50周年に対し「もう1度、4人でコントをやりたい」と訴えるが、はたして、志村が首を縦に振る日は来るだろうか──。

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