DHC会長「武闘派フィクサー」のケンカ人生(2)業界の異端児が成功するまで

アサ芸プラス / 2014年4月15日 9時52分

 “武闘派”の素顔を持つ吉田氏は1941年に佐賀県に生まれた。裕福とは言えない家庭で育ったが、語学を志して同志社大学文学部英文学科に入学する。卒業後に商社に入社するが、1年で退社。25歳の時にDHCの前身となる会社を立ち上げる。

 しかし、わずか6年で会社は倒産。再起をかけて上京し、取り組んだのが大学の研究室を対象にした委託翻訳業だった。その時の社名が「大学翻訳センター」であり、現在の社名はその頭文字が由来だという。

 そして、80年に化粧品販売事業を開始。これが爆発的にヒットしたのだ。

 経済誌記者がこう話す。

「70年代の後半に、吉田氏はオリーブオイルの魅力を知り、スペインの高級オリーブオイルとの出会いをきっかけに、天然成分100%のオリーブオイル化粧品の製造販売を開始します。高品質も支持を集めた理由ですが、もう1つの理由が低価格です。当時の化粧品は百貨店で販売員と対面のうえで購入するのが当たり前の時代でした。そこで、販売コストを抑えるために、吉田氏がとったのが通信販売でした。無料サンプル配布の先駆けであり、通販を巡り国の規制に不満を持ったのが、官僚嫌いの始まりだったそうです」

 しかし、こうした業態は業界では異端児として扱われた。ある化粧品メーカーOBが言う。

「当時、吉田氏は業界ではキワモノ扱いでしたよ。『オリーブオイルって、てんぷら油だろ』とまで言われていました。また、当時は自社生産ラインを持っていなかった時期で、製造を外注していた。その外注先が1度、製品を納入できないことがあった。すると、吉田氏は納入できなかった分の代金を支払わないのはもちろん、『迷惑をかけられたんだから、過去の取り引きで支払った金も返せ』と吹っかけたという逸話もある」

 創業当初から吉田氏の戦闘姿勢は変わっていなかった。大手コンビニとの独占販売契約をして、吉田氏は同業他社を蹴散らしていくことになる。そして、他社との争いでは、さらに勇猛となっていく。その代表例が、化粧品だけでなくサプリでもシェアを二分するファンケル化粧品が起こした特許権侵害裁判である。

「DHCのメーク落としの成分がファンケルの特許権を侵害しているとして、10年に裁判を起こされたのです。そこで、DHCは対抗措置として特許庁に特許権無効を申し立て、なんと認められてしまった。裁判のほうも一審では敗訴しましたが、控訴審では金銭の支払いのない和解が成立し、実質的な勝訴を収めています。これも、吉田氏の戦う経営スタイルのたまもので、独占販売契約をしていたコンビニが他社製品を扱った際も吉田氏は謝罪に来たコンビニの役員と会わなかったといいますから、一本筋が通った経営者なのです」(前出・経済誌記者)

アサ芸プラス

トピックスRSS

ランキング