蘇る!山口百恵「赤いシリーズ」の“衝撃”(6)新人だった国広富之が受けた“大映ドラマの洗礼”

アサ芸プラス / 2014年5月21日 9時58分

 秋野暢子と同じく、デビュー間もない国広富之も“大映ドラマの洗礼”を受けている。

「視聴者はゴハンを食べながら観ているんだから、セリフは大きな声ではっきり、しっかり、あえぎながら。それでも足りなかったら目薬でも入れなさい」

 プロデューサーからの過剰な注文である。国広は山田太一原作の傑作ドラマ「岸辺のアルバム」(77年)で注目され、その直後に百恵の相手役として「赤い絆」(77年)に抜擢される。

「デビュー作はVTRだったから、フィルムはこれが初めて。VTRはマルチで撮るけど、フィルムは片方だけ撮って次という感じだったのでとまどいました」

 さらに人気絶頂の百恵のスケジュールである。いったん撮影を中断し、ヒット曲を持って「夜のヒットスタジオ」などの歌番組に出演。それを終えて深夜から撮影が再開となる。それが週に2回や3回はザラだったと国広は振り返る。

「そんな忙しさでも百恵ちゃんは笑顔を絶やさない。それでいてキャメラが回り出すと、とたんに愁いを帯びた表情ができる。セリフだって、いつ覚えられるんだろうと感心するくらい完璧でした」

 まだ新人だった国広にとって、黄金コンビだった三浦友和に代わっての恋人役である。そのプレッシャーは、しかし感じるヒマもないくらい撮影に没頭したという。

 好評を得た国広は、続く「赤い激突」でも重要な役でシリーズに連続登板を果たす。

「海外ロケが決まると、その直前までは撮影スケジュールが立て込んできます。最長で50時間以上もの連続ロケがあり、照明スタッフがライトを当てたまま下に落っこちたり、監督が眠っちゃって『カット!』の声がいつまでもかからないなんてこともありました」

 座長格の宇津井には、先日のお別れの会で水谷豊が弔辞を読んだのと同じように、俳優として多くのことを学んだ。控え室でも常にバーベルを上げ下げしていたり、乗馬クラブで見せられた「日本一の投げ縄の技術」などは、自身が時代劇に出演した際に役立った。

 そして国広は、同じ大映ドラマでもイメージをガラリと変えた「噂の刑事トミーとマツ」(79年)で、さらに支持を拡大させた。

「赤いシリーズでも台本をもらうことが楽しみでした。複雑なストーリーで目が離せなかったけど、そこに政治や社会的なテーマを織り込んであって、むさぼるように読んでいました」

 山口百恵や宇津井健を中心とした「赤いシリーズ」の炎は、今なおアジア各国に飛び火し、燃えさかっているのである。

〈文中敬称略、了〉

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