テリー伊藤対談「千葉真一」(2)挫折を経て俳優の道へ

アサ芸プラス / 2014年7月30日 9時58分

テリー 千葉さんは去年、日体大(日本体育大学)が特別卒業認定をくれたんですよね。学生の頃に俳優の道に進まれて、中退してその道で大活躍されて。当時、日体大生の役者さんなんていなかったでしょう。

千葉 いなかったですね。

テリー それも話題になりましたよね。なぜ日体大の学生から、俳優になろうと思ったんですか。

千葉 自分はもともと、器械体操で東京オリンピックを目指していたんですね。自分の親父はパイロットで、終戦と同時にどん底の貧乏に落ち込んだんです。だから大学は出してもらえないだろうと思っていたんですが、周りの後押しもあって「働いて半分出すから、大学に行かしてくれ」と言って。

テリー 運動の才能があったんですね。

千葉 それで大学に入ってから、アルバイトをしたんです。筋肉をつけるような仕事をすれば、器械体操にもいいだろうと、肉体労働の仕事を選んで。

テリー 力仕事をね。

千葉 でも、無知だったんですね。本来、器械体操の動きのためには、肉体労働はやっちゃいけないんです。結局、坐骨神経症で腰を痛めて、1年間運動停止。1週間稽古をしないだけで、どんどん差が出てしまうオリンピック強化選手の中で、これは致命傷でした。泣いても泣ききれないんですけど、オリンピックは待ってはくれませんから。そこで思い切って中退して、芸能界に入ってしまったと。

テリー なぜ芸能界を選んだんですか。

千葉 中学校、高校の頃から映画が大好きだったんです。でも、映画俳優になろうとか、なれるとかは全然思ってもいませんでした。ただ、挫折して、これから働かなきゃと思っていた時に、大学の連中と風呂に行ったら、たまたまスポーツウエアのモデルの募集が貼ってあった。

テリー ふむふむ。

千葉 1位は5万円、2位で3万円の賞金が出る。「スポーツウエアって、つまりスポーツの衣装か?」なんて言って。それは俺たちにぴったりだろうと、みんなで、7~8人で受けに行ったんですよ。

テリー 器械体操の選手ですもん、当然、体操着は似合う男たちですよね。

千葉 僕だけ2位に入賞して、3万円をもらったんです。

テリー おお、すごい。当時の3万円だから、かなりの金額ですよね。

千葉 そうなんですけど、7人で一晩で使っちゃいました(笑)。この体験があったので「こういう仕事もあって、お金がもらえるんだ」という意識があったんです。これから働いて親に金を返さなきゃいけないというのがありましたから。そしてそのあと、すぐに代々木の駅で「東映・第6期ニューフェイス募集」の貼り紙を見て。友達が「受けろ」と言ってくれたんですね。

テリー あの頃、東映のニューフェイスなんて、なかなか入れないですよね。

千葉 当時、1万5、6000人の応募者があったそうです。そこから男6名、女14名が通って、俳優座に2年ぐらい行きまして、それから京都の撮影所と大泉の撮影所に配属されるんです。

テリー 千葉さんは現代劇だから、大泉ですね。

千葉 そこで私の芸能界の恩師といいましょうか、深作欣二監督に出会ったんですね。あの方の第1回監督作品が僕の第1回の主演作品(「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」・61年)だったんです。

テリー 千葉さんは、今僕がかぶっているような帽子をかぶっていましたよね。

千葉 そう。「ファンキーハットの快男児」(61年)っていって。テリーさん、よくご存じですね。今日は、帽子をかぶって来ればよかった(笑)。新しい映画の境地を見いだしていた深作監督は、高倉健さん、鶴田浩二さん、丹波哲郎さんというすごい俳優の映画しか撮らなくなって、我々新人はあまり撮ってくれなかったんですが、29歳の終わりに「キイハンター」(68年)という自分の主演作品を深作さんがまた撮ってくれて、5年間で250本撮りましたね。

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