ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(2)人気上昇の中にも様々な思惑が…

アサ芸プラス / 2014年7月31日 9時58分

 映画監督の小谷承靖(こたにつぐのぶ)は、ピンクの絶頂期である78年に「ピンク・レディーの活動大写真」(東宝)という映画を撮った。これまでフォーリーブス、桜田淳子、後には山口百恵の主演作を撮るなど、アイドル映画には定評があった。

「それでもピンクの強行スケジュールは前例がなかったね。全部で2週間だけどフルに撮影できたわけではなく、合間に『ザ・ベストテン』の中継や地方公演が入ったり、2人を別々に撮ったこともあったから。ケイなんか撮影中に貧血で倒れたほど多忙だったね」

 これが初めての演技体験となる2人だが、映画は3部構成のオムニバス仕立てとなった。第1部が松竹風の人情モノ、第2部は東宝お得意の特撮を取り入れたSF、そして第3部がウエスタン調のアクション活劇だった。

 本来、アイドル映画といえば恋愛ロマンスが大半だが、ピンクの場合は生身の女性ではなく、もはや“ピンク・レディーというキャラクター”に転化していた。そのこともあっての3部作だったと小谷は言う。

 この年、ピンクは「UFO」で日本レコード大賞を受賞。受賞記念と忘年会を兼ねた大みそかの祝宴で、小谷は“ピンク・マネー”をまざまざと見せつけられた。

「じゃんけんによる抽選会で、僕が最後まで勝ってしまったんだよ。そしたら景品がマツダのファミリア。すごいものをもらえるんだなあと驚いたね」

 当時のピンクは、あまりの多忙なスケジュールに記憶がすっぽり抜けている状態だったと後述するが、それでも、小谷との相性は良かったようである。解散後の82年、ミー主演の「コールガール」(松竹)という映画で、小谷が指名されている。ミーから「演技派でいきたい」との意向があり、初のヌードも辞さない熱演が光った。

 かつて、恋愛ロマンスすらも許されなかったアイドル映画とは一線を画している。

「ケイちゃんともミステリードラマで一緒になったし、再結成のコンサートにも呼んでもらった。あの『活動大写真』だって、忙しいスケジュールにいろんなアイデアを出し合って作れたのは楽しい思い出だよ」

 小谷が懐かしんだ78年は、ピンクにとって頂点を極めた瞬間である。そのため、ブラウン管ではわからないトラブルも頻発していた。

 まず、オーナーだった小川薫の問題だ。ギャンブル好きだった小川は、一晩で数千万円、あるいは億単位の金を失うこともあった。その補填は当然、ピンク・マネーという名の会社に向けられる。貫はついに弁護士を立て、幼なじみとの決別を宣言する。

「小川には1億円の手切れ金を渡して退いてもらった。辞めた後もマスコミを使って攻撃してきたけど、こちらには介入させなかった。他にも一部の人間が金をごまかしたりして、その総額も1億円くらいあったかもしれない」

 さらに、翌79年にかけて、ピンクを急激な人気降下が襲う──。

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