70年代シネマ女優たち 桃井かおり 絶頂期の松田優作にダメ出し

アサ芸プラス / 2012年3月10日 10時54分

 71年に映画界に登場した桃井かおりは、ほどなく、時代を象徴する女優となった。以来、40年にわたって唯一無二の存在感を放っている。ものまねで多用されるような独自の口調に見過ごされがちだが、卓越した演技力や、官能的な美肌ボディは特筆に値した──。

〈アタシ、何で好きでもない男を家に上げちゃったんだろう…〉
 小さなアパートの一室で、同棲相手の大学生(奥田瑛二)に抱かれながら、女子大生のまり子は胸のうちでつぶやく。79年に公開され、単館系としては異例の大ヒットとなった「もう頬づえはつかない」(ATG)の1コマである。
 まり子を演じた桃井かおり(60)は、同作で「日本アカデミー賞」や「ブルーリボン賞」の主演女優賞を総なめにする。世評としても“時代の空気”を桃井が切り取ったとの声が圧倒的だった。
 同じ79年にレコード大賞を獲得したのは、ジュディ・オングの「魅せられて」である。〈好きな男の腕の中でも、違う男の夢を見る〉
 阿木燿子による詞は、衝撃と共感を持って迎えられた。桃井の役柄と共通する「女の自立」を謳い、この年には「翔んでる女」が流行語になっている。
 桃井かおりは数々の栄誉とともに70年代を締めくくったが、その出発点はどこだったのか──。
 筆者が向かったのは、東京・乃木坂の「COREDO」というバーである。オーナーの桃井章はかおりの兄で、ほぼ同時期に脚本家としてのキャリアをスタートさせた。父が国際政治学者として防衛庁に勤務した桃井真、母は芸術家として鳴らす
〈桃井家の人々〉は、兄弟の4人に至るまで、互いが奇妙な距離感で刺激をもたらす。
「かおりはクラシックバレエでロンドンに留学しながら、日本人の体型の限界を悟って身を引いた。それから女子高に入り、『劇団若草』という老舗の児童劇団に入ったけど、ある日、1本の映画を見て急激に意識が変わった」
 章が劇場に誘ったのは、大島渚監督の「日本春歌考」(67年/松竹)だった。これまでの様式美にとらわれない「日本ヌーベルバーグ」の傑作として位置し、章やかおりの胸をまさぐった。以来、フランスのジャン=リュック・ゴダールや、TBSの演出家・今野勉らの斬新な作風に傾倒する。さらに、と桃井章はジントニックのグラスを目の前に差し出して言う。
 「よく、かおりを『しらけ世代の代表』って言うけど、彼女は60年代後半の学生運動の熱なんかも肌で知っている。厳格な父のもとにいながら、芝居に対しての情熱を抑え切れず『文学座』の研究生になったんだ」
 ここから、虚実入り交じった形で数々の「かおり伝説」が生まれていく。後輩にあたる渡辺徹が語ったのは、演技テストで「人差し指を頬に軽くあてるだけで奇跡の満点を取った」というもの。また1期後輩の松田優作を、後にドラマ「春が来た」(82年/テレビ朝日)で共演した際に、激しく罵倒している。
「あんた、ホームドラマだと思ってナメてるんじゃないの? あんたの演技、アクションスターの松田優作みたいで変!」
 絶頂期の松田優作にダメ出しをできた唯一の女優であろう。優作はこの直後、箸の上げ下げから真剣に取り組んだという。

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