南相馬市長 桜井勝延が「原発事故1年」を全激白(1)1号機の爆発の時はこれで終わりだ…と

アサ芸プラス / 2012年3月13日 10時58分

 2011年3月11日午後2時46分。あの忌まわしい時間から1年が過ぎようとしている。もう1年、いや、まだ1年なのか。震災、津波、そして原発事故。この三重苦に見舞われた福島県南相馬市から叫びのようなSOSを送った首長が、独占インタビューに応じてくれた。あの日から今まで、被災の現場では何が起こっていたのか─。

この厳しい時に市長になったのは天命なのかとつくづく思う。ここまで被災したあとは、ただ上に上っていくだけだ。

 福島県南相馬市長・桜井勝延氏(56)。陸の孤島と化した南相馬市の窮状をユーチューブから世界に伝えたことで、米タイム誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた首長である。震災当初の南相馬市は食料、燃料、情報が遮断され、陸の孤島となっていた。桜井市長は当時をこう振り返る。

 3月11日午後2時46分の激震後、市庁舎の屋上から見た大津波は忘れられないな。土煙や火事の煙にも見えた黒くくすんだ煙が、海岸線に沿ったあたり一面にワーッと上がっていくんだから。高さは30メートルくらいあった。何だ?って感じで、もう理解の範疇を超えていましたね。

 テレビでは大津波の映像がさんざん流れたけど、こっちは見てる暇なんてない。あの日は職員含めて午前2時くらいまで状況確認に追われてたんだから。

 そこへ原発事故だ。津波による電源喪失後、原発は爆発を繰り返した。

 原発作業員やってた連中が市役所に言いに来たんだ、「原発が危ない」って。

事故後の検証で11日の段階でかなり危なくなってたっていうんだから、現場ではわかってたんだろうね。でも、我々には一切伝わってこなかった。爆発の確認が取れるまで情報が錯綜して、事実が判明したのはNHKの速報で建屋が吹っ飛んだところを見てからずいぶんたっていた。

 1号機の爆発が起きた時には、職員も市民を避難させながら「これでもう終わりかと思う」と周囲に言っていたんだ。第一原発所長だったあの吉田昌郎さんも同じ思いだったっていうけど、もう泣きたくなるような状況でしたね。

 それから、3月14日に3号機が爆発して、アメリカが日本に住んでいる国民に50マイル圏からの避難指示を出した。その後、自衛隊も100キロ圏内から撤退するって動いたんだ。市役所にも自衛隊員が飛び込んでくるし、自分のところにも来た。最初はデマだって思いましたね。自衛隊がまさか‥‥って。でも、確かにみんな列を成して自衛隊が退去していくのを見ましたよ。市民も職員もみんな完全にパニックになっていました。

 大手マスコミも12日を境に一斉に南相馬を離れました。ふだん市役所に詰めてたのに、挨拶もなしに去っていった。現場を報道しなくていいのかって思ったけれど。

 県との連絡システムも停電等によって滞りがちになり、南相馬は完全に情報過疎となっていく

 国が出した20キロ圏外の避難指示にしても、テレビのテロップで知ったくらいだからね。それに食料もガソリンも底をつき始めた。しかし、輸送用のトラックさえ入ってこない。なぜかって? 放射能が怖いっていう理由でしょ。物資を受け取るために、我々が出向かなきゃならなかったんだ。ガソリンだってわずかしかなかったのにね。

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