紅白歌合戦“ドラマチック歌姫”の60年史!【<96年第47回>「女の漁歌」門倉有希】

アサ芸プラス / 2015年12月10日 1時57分

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 大きな期待を背負ってデビューした美貌の演歌歌手が、わずかなうちに男との逃避行で失踪──。衝撃的な報道の真相と、2年後の紅白初出場までの再起を門倉有希(42)に聞く。

門倉 よろしくお願いします。

──相変わらずみごとなハスキーボイス。酒焼けですか?

門倉 よく言われますけど、今はもう全然、飲んでいませんので(笑)。

──さてデビューは94年の「鴎…カモメ」という曲。それ以前には「第2の都はるみ」の新人オーディションで全国大会まで進んだし、かなり順調なステップでしたか?

門倉 よくわからないままにオーディションを受けて、福島から月に1回上京してレッスンを受けて。事務所の社長になる人は美空ひばりさんの有名なディレクターだったんですけど、私は「このおじさん、誰だろう?」くらいの感覚しかなかったですね。

──それが、プロの歌手でありながらの「違和感」に結び付いたように思える。

門倉 私は田舎の生まれですから、歌手というのはテレビとラジオとステージをこなす人だと思っていたんです。ところが実際は、来る日も来る日もキャンペーンで。

──特に演歌の新人の場合、必要不可欠。

門倉 そうなんですけど、全部で300軒は回りましたかね。1日に十数軒というのもザラでした。

──レコード店の軒先で、いわゆる「ミカン箱に乗って」のキャンペーン?

門倉 いや、ミカン箱もないですし、お客さんじゃなくてレジの店員さんに向かって「聴いてください」と歌うんです。カラオケもないし、マイクすらもありませんでした。

──心が折れましたか。

門倉 疲れてしまいましたね。それでお酒も飲み始めて、仕事よりも遊びに行くほうが楽しみになって。

──とはいえ、新人歌手の給料は微々たるものじゃないかと。

門倉 お給料を全てつぎ込んで、さらに足りない分は父親に電話して振り込んでもらっていました。

──噂された恋人はすでに存在していた?

門倉 はい、同じように歌手志望だった人で。彼の家でゴロゴロしていて、仕事をすっぽかすことが増えていました。自分でもひどいことしたなと思ったのは、福岡の「KBC新人音楽祭」に行かなかったこと。実は最優秀新人賞に決まっていたのに、それをすっぽかしたんです。

──芸能界としては最大のルール破りでしょうね。

門倉 社長が福岡まで謝罪に行って、私には実家で謹慎するようにと。それからしばらくたって東スポの1面に「男と逃避行で失踪」と書かれましたが、厳密に言えば事実ではありません。彼が原因であったことは確かですが、その時は実家で引きこもっていました。

──デビューから半年後にいなくなって、そこから半年の自宅謹慎。新人であることを考えたら復帰は絶望的。

門倉 そうだと思います。ただ、いない間も事務所にはファンレターが届いていて、定期的に社長がそれを持って来てくれた。ある日、「もう1回歌うか?」と聞かれて、私は「覚悟はあります、歌いたいです」と答えました。そこから2年近くかけて、全国へお詫び行脚に出ましたよ。

──2年後の96年、「女の漁歌」でNHK新人歌謡コンテストに優勝し、特典として紅白に初出場。

門倉 ずっと歌を応援してくれたおじいちゃんが紅白の2週間前に亡くなったんです。形見の時計をポケットに入れて歌いましたが、あの姿を見せてあげたかった‥‥。いろいろ迷惑かけた私を紅白まで押し上げてくれたスタッフの方々には、今でも感謝しています。

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