ピンチをチャンスに変えた「挫折」の受け止め方 森川ジョージ(漫画家)

アサ芸プラス / 2012年4月12日 10時54分

 漫画「はじめの一歩」は、まもなく第99巻の単行本が刊行となる。「週刊少年マガジン」連載開始から、実に23年が経過した。長い歳月を少年漫画のトップランナーとして駆け抜けてきた作者は「挫折」とは無縁のようにも見える。しかし、現在の栄光の陰には若き日の苦労が隠されていたのだ。

最初の連載は5回で打ち切り

 漫画家、森川ジョージ46歳。彼は生涯の半分を「はじめの一歩」(講談社刊)の作者として過ごしてきたことになる。

 森川と漫画の出会いは、本人が「4~5歳」と正確に言い当てられないほど遠い過去。でも、鮮明に記憶する一瞬であった。

「当時、ちばてつやさんの『ハリスの旋風』というアニメが好きで見ていたんです。ある日、理髪店に行くと、その本が置いてあり、そこで初めて漫画というものを知ったんです。あまり字は読めなかったけれど、テレビで見てストーリーは知っていたので絵を見て話を理解したはずです。『なんておもしろいんだろう』って思ったのを覚えています」

 その瞬間、森川は漫画家になる決意を固めた。小学校3年生にもなると、ノートにコマ割をして連載形式で漫画を描いていた。自分が描いた漫画をクラスメイトに読んでもらい、アンケートまでとっていたというから恐れ入るばかりだ。

 15歳の時に、そのアンケートで最も人気があったバンド漫画を原稿にして講談社に持ち込んだ。森川の作品は月例賞の佳作に選ばれた。その後もトントン拍子に進んだ。17歳で新人賞の準入選作が「週刊少年マガジン」に掲載。森川は高校2年生でデビューを果たす。高校卒業後、すぐにマガジン別冊の「月刊スペシャル・マガジン」でバンド漫画の連載を開始する。先輩漫画家のアシスタントをしながら、自分の作品も描き上げるという多忙さだった。この時、森川は18歳。異例の出世と言えた。

「当時は1ページの原稿料が3500円で、月刊誌の1話は30ページだったので月に10万円ぐらいの収入でした。2万5000円のアパートに住んでいたので不自由しない程度には暮らせました。ここまでなら天才的でしょう」

 ところが、連載が5回で突然の打ち切りとなったのだ。

「4回目の連載原稿を編集者に渡す時に『残念ながら人気がないので次回で終わりね』と言われました(笑)。5回目で話を完結させようとはしましたが、まとまるわけがないんですよ。でも、大したことじゃなかった。人気のない漫画は誰も読んでいないんですから。アンケート順位が低いということは致命的なんです」

 森川は漫画業界のシビアさを実感した。19歳になり、再び大きなチャンスが到来した。マガジン本誌にサッカー漫画を連載することが決定したのだ。「一矢NOW」という作品であった。

「Jリーグがスタートする数年前というタイミングでした。当時は、ユベントスの一員としてプラティニが来日しても、会場が満員にならないのだから、ウケないのではと不安もありました」

 森川は前回の連載で1カ月に得た収入と同じぐらいの額を1週間で手にした。10代の若者にとっては大金であり、成功をつかんだように思えたが‥‥。

「約3カ月、14回の連載で打ち切りでした。読者アンケートでは中間ぐらいの位置だったらしいんですが、少年マガジンへの貢献度では並居る大御所の先生には遠く及びません。下のほうにいる新人からカットしていく。それが業界の仕組みだと理解したし、受け入れました。だって、アンケートで1位を取れなかった自分が悪いんですから‥‥」

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