80年代黄金ヒロインたち 小柳ルミ子

アサ芸プラス / 2012年5月1日 10時54分

 今から約30年前のこと。歌謡界の財産である小柳ルミ子の主演映画は、誰もが息を飲むほど悩ましく、同時に歌手として多くの〈波紋〉を残した‥‥。あの日、ルミ子を衝撃場面の出演へと導いたものは何だったのか? 名作「白蛇抄」に秘められた数々の謎を、長い沈黙を打ち破って初めて明かす。

運命を変えたショーケンの声

「社長の死期を早めたのが『白蛇抄』だったんじゃないの?」

 小柳ルミ子(59)は、87年に世を去った渡辺晋社長の葬儀の場で、スタッフから冗談まじりに言われた。渡辺プロの総帥であり、芸能界のドンと呼ばれた男の心拍数を高めたほどの映画という逸話である。

 そんなルミ子の出発点は、歌手ではなく女優だった。NHKの朝ドラ「虹」(70年)に、一家の娘役で出演した。出身地の福岡と、音楽学校で過ごした宝塚のなまりが抜け切れず、NHKのニュースをお手本にイントネーションを直した。

 このドラマで全国区の知名度を得て、翌71年4月25日に晴れて「わたしの城下町」で歌手デビュー。渡辺プロでは今も破られない135万枚の売上げを記録した。同年の最優秀新人賞を総なめにし、2年目には「瀬戸の花嫁」で歌謡大賞にも輝いた。念願だった「売れっ子歌手」の道を邁進しながら、もう1つの思いがあったとルミ子は言う。

「このまま、日本情緒にあふれた歌い手に専念していいんだろうかと思ったんですよ。3歳から習ったバレエや日舞はどこで生かせるんだろうって。私は歌と踊り、それにお芝居の三本立てでいきたかった」

 ルミ子のデビューに至る日々を、小学生だった筆者は、人気アニメ「巨人の星」のようだと感じていた。野球と芸能、父子と母娘の違いはあるが、いずれも夢に向かって幼い日からスパルタ教育を施されてきた。

 そう告げると、1カ所だけ反論された。

「私の母は強制的ではなかったんですよ。レッスンでも行きたくない日は行かなくていい。自分で決めることで、誰のせいにもしないということを教えていたんでしょうね」

 その自立心が覚醒したのは、デビューから10年後、81年のことである。ルミ子が自宅にいると、萩原健一から電話がかかってきた。

「ルミちゃんが返事をくれないから映画が決まらないよ。台本は読んでくれた?」

 まったく寝耳に水だった。ルミ子のもとには何ひとつ話は伝わっていなかった。それが「誘拐報道」(82年/東映)だと聞かされたが、監督の伊藤俊也は何度も渡辺プロに直訴しながら、門前払いを食らっていたのだという。公演や営業で売れっ子歌手であるルミ子に、拘束期間の長い映画など出させられない‥‥。

 顚末を知ったルミ子のもとに、萩原がこっそりと台本を届けた。主演の児童誘拐犯が萩原で、その妻がルミ子という前提だった。

「伊藤監督も私を待っていてくださるし、この作品をやったら私を変えられると思ったんですよ」

 制作には日本テレビが出資しているが、日テレ側の希望は吉永小百合か大原麗子だったという。それを伊藤監督が譲らず、ルミ子の説得に渡辺プロも折れ、ようやくクランクインした。そのため、多くの営業をキャンセルして大損害だったと笑う。

「映画が順撮りではないと聞いていましたが、初日がいきなり、ラストシーンとなる娘との夜逃げの場面。前の日は台本を最初から何度も読んで、一睡もできませんでした。ショーケンがなけなしの金をむしり取って出て行って、墓地まで追いかけて『あんた~っ!』と絶叫するシーンは、40テイクは重ねたんじゃないかと思います」

 ほとんどがノーメイクで、ゴム合羽に身を包んだ渾身の演技は、これが10年目にして初の映画出演にもかかわらず「日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞」という栄誉に昇華した。

「次はルミ子ちゃんを主演に、この映画を撮りたい」

 伊藤監督は「誘拐報道」の撮影が終わり切らないうちに、1冊の本を手渡した。水上勉原作で、初主演作となった「白蛇抄」(83年/東映)である。すでに伊藤は東映・岡田茂社長に企画を出し「ルミ子が主演なら」と岡田も二つ返事だった。

「原作を読んだら、官能の描写が凄いんです。これに出たらヌードになることは避けられない。今、この段階で渡辺プロに言ったら、100%ノーだなって思いました」

 ルミ子の選択は「事後承諾」だった。伊藤に出演の了承を伝え、後戻りできない段階でようやくマネジャーに告げた。返ってきた第一声は、あたりに響く叫びだった。

 やがて、渡辺社長の耳にも入ることになる。渡辺は激怒し、1人の男を呼び寄せた。監督の伊藤ではない。東映の岡田社長である。その席で渡辺は、岡田にこう告げた。

「ウチの可愛い娘を頼んだぞ」

 渡辺はルミ子の濡れ場に最後まで納得していなかったが、それでも、本人の意欲を買った。やがて、正式に制作発表がされると、ルミ子にも“火の粉”が降りかかった。

「歌手でありながら、何であそこまでやるの? そんな声も聞こえました。でも正直、その時期はどんな曲を出しても売れていない。ここで小石を投げて、波紋を広げることも必要だなって思ったんです」

 デビューからの3年間は、ほとんどの曲がベストテンに入っていた。しばらく低迷したが、77年4月に出した「星の砂」が50万枚を超え、第2黄金期に突入する。同曲は作詞が関口宏、作曲が「ヒデとロザンナ」の出門英で、テレビの番組企画で生まれた1曲である。レコード化の予定はなかったが、ルミ子の強い意欲で実現し、大ヒットに結びついた。

 さらに伊藤監督が「誘拐報道」でルミ子に固執したのは、この曲の感情表現に女優の可能性を見出したからである。

 こうした縁の重なり合いを経て、主演作の「白蛇抄」がクランクインする。ルミ子が演じたのは、夫を火事で失い、自殺しようとしていたところを老住職(若山富三郎)に助けられ、その後妻となる女。女ざかりの妖艶な肉体に、住職の息子(杉本哲太)や刑事(夏八木勲)らが次々と虜になってゆく。

 ロケ地は真夏の京都が大半だったが、官能描写以前に、その地が苛烈を極めた。

「この撮影をやってから、どんなロケも苦にならなくなった。それほど京都の夏は暑いし、山のシーンが多かったから虫は出るし。何よりも滝つぼに着物のまま入る場面ですね。夏でも凍りつくほど寒くて、心臓が止まるかと思ったくらい」

 それでも、水につかって月に映える姿は、まさしく〈白い蛇の化身〉のごとく優雅である。

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