森高千里「私がオバサンになっても」(後編)(2)中森明菜への憧れと目覚め

アサ芸プラス / 2012年7月6日 10時58分

 そもそも「歌手になることを目指してこの世界に入ったわけじゃなかった」とたびたび口にしている森高だが、どんな歌手に憧れていたのだろう。

 ここに1本のカセットテープがある。日付は、86年11月29日と記されているカセットは森高が師事を仰いだボイストレーナーの波多江顕亮氏のもとに残されていたものだ。

 デビュー前に福岡などでレッスンを積んだ成果を見るために上京し、森高が初めてレコーディングしたという貴重な音源だ。吹き込まれた曲は中森明菜の「北ウイング」だった。「ラブ イズ ザ ミステリー、私を呼ぶの〜♪」

 テレコから流れ出る歌声は今よりもやや細いが、クリスタルのように透き通る間違いなく森高独特の声音であった。

 ポカリスエット・オーディションの最終審査でも同じ明菜の「十戒」を歌っているだけに、「ザ・ベストテン」世代の森高はよほど明菜に憧れていたのだろう。

 また、熊本の女子高では折からのバンドブームの影響か、はたまた父・茂一氏がロカビリーバンドの歌手で、母・千鶴子さんは女優という芸能魂がうずいたのか、同じ学校の女友達と「ル・パラディ」というバンドを結成していた。

 熊本には森高ファンの聖地として知られる場所が数カ所あるが、市内繁華街の上通アーケードの一角にある「大谷楽器」もその一つ。「確かに、ウチのスタジオで森高さんのバンドは練習をしていましたよ。当時はまだ高校生がバンド活動をするのは認めないところもあったんですが、森高さんの九女(九州女学院)は学内でバンドを組むことは許されていたんだと思います」(大谷楽器店員)

 ドラムス担当の森高は、実家からこの楽器店の上階にあるスタジオまで自転車で通っていたのだという。

 このビル最上階には「ペパーランド」というライブハウスがあった。当時、熊本随一のライブハウスとして、博多めんたいロックの雄「THE MODS」や、ガールズバンドの草分けZELDAなどもこのライブハウスで活動してきたという。残念ながら、現在はピアノリサイタル用に改修されてしまい、当時を知るすべは入り口に残された「PEPPER LAND」というプレートのみとなったが、森高らバンドメンバーは、このライブハウスの控え室でもあった練習スタジオで、当時流行していたレベッカなどのコピー曲を練習していた。やはりこの場所から森高伝説は始まっていたのだ。「まさか自分の演奏するドラムをレコーディングするとは思わなかった」

 と言う森高だが、その6年後、すっかりアイドル色を脱し、それまでの総天然色だったジャケットとは歴然と違うモノトーン色アルバム「ペパーランド」をリリースする。しかも作詞のみならずみずからドラム、ギター、ベース、キーボードなどほとんどの楽器をこなす。「これから私たちのライブが始まる♪」

 と、まるで高校時代に原点回帰するかのように陽気な歌声を響かせるのだ。

【関連記事】

アサ芸プラス

トピックスRSS

ランキング