スペシャル対談・田中京×大下英治「今の日本には“田中角栄”が必要だ」(2)角栄が見せた2つの泣き顔

アサ芸プラス / 2016年8月17日 5時55分

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大下 あと、京さんが同じ境遇の弟さん宛てに書いた手紙が田中角栄を泣かせたっていうエピソード。京さんの本にも書いてあるけど、あれはいい話ですね。

田中 あれはちょうど僕がCBSソニーに入社する前、音楽評論家時代の頃で、アーティスト取材でロンドンに行っている時に、母からものすごく分厚い手紙が届いたんです。何だろうと開けてみましたところ、どうやら親父が総理大臣になりそうだ、と。

大下 72年ですね。

田中 そこで親父に大きな注目が集まって、いろんなことが明るみに出たら、弟がまだ自分の境遇を把握していないので混乱してしまうことを心配して‥‥どうしたらいいだろう、という母の愚痴みたいなものが書かれていた。それで、自分なりの経験を通して、弟に一筆手紙を書いたんです。

大下 その時の弟さんの年齢は?

田中 たしか中3でした。「お前も何となく勘づいているだろうけど、そういうこと(編集部注:田中角栄の婚外子)だ。俺もお母さんから、そのことを中学2年の時に告げられて、同じような気持ちだった。今はお前が、田中家の男としてお母さんを守ってくれ」というような内容をまとめて、封筒の上に“弟以外開けるべからず”って書いて送ったんです。でも、母たちは弟が学校に行ってる間に、そーっと開けて封筒の中を見て、みんなで泣いていたらしいです(笑)。

大下 きっと、その心遣いがうれしかったんでしょうね。

田中 手紙を出してから1週間後くらいに、国際電話を入れました。「お前、俺の手紙の内容、わかったか? “うん”か“いいえ”で答えろよ」「うん」「頼むぞ」「うん」。それで、その話は終わり。後は世間話をして、僕はその1カ月後に帰国しました。

大下 その頃、日本はまさに田中角栄ブームですよ。

田中 帰国したあくる日に、父が突然家に帰ってきたんですよ。時間が経っていたもので、手紙のことをすっかり忘れたまま普通に玄関に出て行ったら、親父は立ったまま目を真っ赤にして、仁王立ちしてるんです。そして、バッと僕のことを抱きしめて、「ありがとう」と言って泣き崩れたんです。それで、こっちも一気に泣けてしまったんですが、その横に立ってる当事者の弟がポケーっとしててね(笑)。これがB型親子の典型だったんでしょうね。

大下 ジンとするね。田中角栄が家族のことで泣いたっていう話は、あまり聞かないから。

田中 一瞬ですけど号泣ですからね。その時、僕は初めて、父親という存在を肌で感じましたし、「ああ、ひとつだけは親孝行できたな」と思えました。でも、あの親父ですから、さっと涙は止まって、「さあ飲むぞ」となった(笑)。その時、どこかのメモ用紙かなんかをビリッと破いて、「お前、ここにサインをしろ。ちゃんと“Kyo Tanaka”と書くんだぞ」と言うんです。

大下 そのサインは、何か意味があるものなの?

田中 いやいや、要するに、渡欧したんだから英語のサインを書いてみろ、ということみたいです。そのサインした紙をパッと折って財布に入れてました。

大下 当時、海外で活躍されていた京さんを、誇りに思われていたからでしょう。それ以外で、角さんの泣くところを見られたことはありますか?

田中 テレビ出演の際に泣く手前、というのは観ました。「3時のあなた」っていう番組が昔ありましたでしょう。それに親父がゲストで出て、その時初めて親父が歌を歌う姿を目の当たりにしました。「北上夜曲」という曲でした。ダミ声の高い音で歌っていたんですが、途中目を真っ赤にしてね。おそらく、歌っているうちに北の地の思い出がグーッと込み上がってきたんでしょうね。でも、歌い終えると、涙がスーッと引いていくんですよ。あれは不思議でしたね。

大下 自分を見事に律していたんだね。さすがだ。

田中 僕が見た親父の涙は、それだけでした。

田中 京:1951年東京都生まれ。父は田中角栄、母は辻和子。CBSソニー勤務、飲食店経営を経て、現在は執筆活動を中心にテレビ・ラジオなどに出演。また日中の架け橋として民間で十数年仕事に携わっている。著書に「絆 父・田中角栄の熱い手」(扶桑社)、「男の中の男 我が父、田中角栄」(青林堂)がある。

大下英治:1944年広島県生まれ。政治・経済・芸能と幅広いジャンルで執筆活動を続ける一方、テレビのコメンテーターとしても活躍中。「田中角栄巨魁伝」(朝日文庫)、「田中角栄の酒」(たる出版)、「田中角栄の新日本列島改造論」(双葉社)など、田中角栄に関する書籍も数多く手がけている。

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