吉永小百合、挙式の夜に脅迫電話が

アサ芸プラス / 2012年10月31日 11時0分

 73年8月3日、千秋(せんしゅう)与四夫邸の前は早朝から150人もの報道陣でごった返していた。誰にも知らせていなかったはずが、国民的女優の挙式ということで、完全にマークされていたのである。

「奈良岡さんが入る時に揉み合ってカメラマンがケガしたりもあったけど、家の中には誰も入れないようにガードしたね。式はなごやかに進んで、僕がお神酒で2人に三三九度をついであげたんだ」

 ただし一変したのはその直後である。千秋の家と、夜には岡田の家のそれぞれに同じ脅迫電話が入った。

「岡田は絶対に許さない。殺してやる!」

 狂信的なサユリストの仕業に6人の刑事が駆けつけ、披露宴の新宿・京王プラザまでを完全にガード。特に予告電話ほどのトラブルには至らなかった。以来、両家の友情は変わることなく続いている。

「ウチの息子の結婚式にも小百合ちゃんが出席してくれたし、昨年の畠山みどりの50周年公演にもメッセージを寄せてくれたね」

 吉永の父親も亡くなる直前には2人の結婚を認め、娘との和解を果たしている。出会いから半世紀もの時間が経っているが、吉永にとって「縁」は不変のものである。

 ビクターで吉永の歌手活動を再開させた谷田郷士にとっても思いは同じだ。

「吉田正先生の『そろそろ小百合ちゃん、歌ってくれないかな』の一言がきっかけでしたね。女優としては『夢千代日記』(81年/NHK)で大人への脱皮ができた。同じように歌手としても成長した姿を見せたいと思ったんです」

 吉永は落馬で歌手を休業した経緯からテレビで歌うことはないと明言した。ただし、レコードに関してならの条件つきで谷田と吉田の願いを聞き入れた。復帰作は「天国の駅」(84年/東映)の主題歌である「夢さぐり」で、さらに同年、吉田の作・編曲で「夢千代日記」もレコードになる。

 吉永は86年から原爆詩の朗読会を始め、さらなる普及のために「自費制作でいいので」と前置きし、谷田にCD化を訴えた。

「ビクターにとって小百合さんは長年の功労者。売れる売れないにかかわらず、CD化は会社で負担しますと伝えました」

 朗読アルバム「第二楽章」(97年)は10万枚近い高セールスを記録し、日本レコード大賞企画賞にも輝いた。その印税は、全額を関連団体に寄付している。

 谷田が驚いたのは吉田の最晩年である。97年10月にNHKで吉田の特集番組が組まれることになり、吉田の希望で「泥だらけの純情」を歌ってくれないかと吉永に打診した。めったに歌っていない曲であり、吉永は「先生に恥をかかせられない」と辞退したが、こんな代案を出した。

「先生をカラオケにお誘いして、そこで私が歌ってあげます」

 その8カ月後の6月10日に吉田は77年の生涯を終え、約束はかなわぬままに終わったと谷田は思った。

「ところが小百合さんは先生の告別式で、弔辞を読みながら、アカペラで突然に『泥だらけの純情』を歌い出したんです。誰もがびっくりするのもかまわず『先生、聴いてくださいましたか』と最期のお別れを伝えました」

 歌がつないだ絆─吉永の最新作「北のカナリアたち」(11月3日公開/東映)もまた、鍵を握るのは「歌」である。

【関連記事】

アサ芸プラス

トピックスRSS

ランキング