【ノスタルジック2デイズ】"伯爵夫人"はスポーツもお得意! 「日野 コンテッサ」!

Autoblog JP(オートブログ) / 2013年3月15日 21時50分

【ノスタルジック2デイズ】"伯爵夫人"はスポーツもお得意! 「日野 コンテッサ」!


現在ではトラックやバスの製造で知られる日野自動車だが、かつてはこんな素敵な乗用車も作っていた。2月23日・24日にパシフィコ横浜で開催された旧車イベント「ノスタルジック2デイズ」に、群馬県のオートサークルが出展していた「コンテッサ900」は、同社の社長ご自身が所有する車両で、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』にも出演したという。

Gallery: 1962 Hino Contessa


 
1950年代のはじめ、乗用車製造のノウハウを持たなかった日本の自動車メーカーは、それを学ぶために海外メーカーの車種をライセンス生産することから始めた。第二次大戦後にトラックやバスなど大型車両の有力メーカーとなっていた日野ヂーゼル工業(後の日野自動車)は1953年、フランスのルノーと技術提携の契約を結び、ルノーの小型乗用車「4CV」のノックダウン生産を開始する。当初は主要な部品をフランスから輸入し、日本で組み立てていたに過ぎなかったが、次第に部品の国産化を進め、1958年には全ての部品を日本で製造、独自の改良も施した "国産車としての「日野 ルノー 4CV」" を生産するまでに至った。



その過程を通してルノーの乗用車に関するノウハウを学んだ日野自動車は、4CVの設計を参考にしつつ(そして生産設備も流用することを考えつつ)独自に開発した新型車「コンテッサ900」を1961年に発売する。4CV同様、モノコック構造による軽量な車体の後部に搭載された直列4気筒水冷OHVエンジンは、排気量893ccから最高出力35ps/5,000rpmと最大トルク6.5kgm/3,200rpmを発生。リア・エンジン車としては極めて珍しいコラム・シフトを採用した3速トランスミッションを介して後輪を駆動する。オプションとして電磁式自動クラッチを採用した2ペダルMT「シンコー・ヒノマチック」も用意されていた。最高速度は110km/hに達し、燃費は20km/リッター前後を記録したという。足回りはフロントがウィッシュボーン/コイルスプリング、リアはスウィングアクスル/コイルスプリングの4輪独立懸架。ラジアスアーム付きのリア・サスペンションはロールが抑えられ、当時のカタログに「世界的有名スポーツカーと肩を並べる安定性を示します」と誇らしげに書かれていたほど、スポーティな操縦性を持っていた。



その証拠として、1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリでは、700~1000ccのツーリングカー・クラスで、本家ルノーのスポーツ・モデル「ルノー・ドーフィン・ゴルディーニ」や排気量で勝る「DKW 1000」を抑えて優勝。1,300cc以下のスポーツカー・クラスでも「オースティン・ヒーリー・スプライト」や「ダットサン フェアレディ SPL」などの本格的なスポーツカーを相手に善戦し、DKWに続く2位を獲得している。しかもこのレースでは、ポール・ポジションもファステスト・ラップも日野コンテッサが記録したのだ。

1964年になると、排気量を985ccに拡大し、ツインキャブレターや高圧縮比ヘッド、強化サスペンション、4速トランスミッションなどを備えたレース仕様車「コンテッサGT」が登場する。日本グランプリでは「三菱 コルト」に敵わなかったものの、このクルマをアメリカ人ドライバーのロバート・ダンハム選手がアメリカへ持ち込み、いきなり出場したリバーサイド3時間耐久レースでクラス2位入賞、1ヶ月後のウィロー・スプリングスで行われたヒルクライムではBMW、ミニ・クーパー、MGなどを打ち負かして1,100cc以下のクラスで優勝、総合でも4位に入り、それより上の順位にはV8エンジンを積んだ「フォード・マスタング」が2台と、「スチュードベーカー・アヴァンティ」が1台だけという見事な成績を残した。続いてデル・マーで開催されたレースにも出場し、ここでも1,000cc以下クラスで優勝、総合では「ミニ・クーパー1275S」と「MG 1100」に続く3位を獲得。ヨーロッパ製の名高いスポーツカーやスポーツ・サルーンを相手に劣らぬ速さを見せるコンテッサは、アメリカのレース・ファンから大きな注目を浴びたという。



海の向こうで大活躍を見せたダンハム氏だが、当初は別にレースに出場するつもりではなく、ハイウェイをクルーズするために高速性能と安全性が高いコンテッサGTを使おうと思ってアメリカに持って行ったそうだ。ところがその速さに驚いたレース仲間たちは、彼にレース出場を勧めることになり、その中の一人にはあの「シェルビー・デイトナ」(「AC コブラ」をベースとするクローズド・ボディのレースカー。通称コブラ・デイトナ・クーペ)の空力ボディをデザインしたピート・ブロック氏もいたというから、日本人としては嬉しいではないか。後にブロックは、「チーム・サムライ」の名前で白いボディに赤いストライプを入れた(つまり日本のナショナル・カラー)「コンテッサ 1300」でレース活動をしたり、1967年には日野製DOHCエンジンを積んだ「サムライ プロト」というレースカーをデザインしている。



話が逸れたので写真のクルマに戻そう。
群馬県前橋市にある旧車専門ショップ「オートサークル」が出展していたコンテッサ900は、内外装の装備や仕立てが高級な上級グレードの「デラックス」。1962年(昭和37年)式の前期型だそうだ。お店の方のお話によると、「ウチの社長が長く持っているクルマ」だそうで、「映画(『ALWAYS 三丁目の夕日』)の撮影がある度に綺麗にして出していた」とのことで現在のコンディションは抜群。走行距離は12万kmだが(50年間で、と思えば少ないけれど)、エンジンはオーバーホール済み、足回りもリフレッシュされているという。「今の街中でも普通に乗れる」そうだ。新品パーツを多数使って仕上げたという外装は、本当に美しく手入れされており、当時 "イタリアン・スタイル" を謳っていたボディが引き立って見える。旧車では問題になるパーツの入手については、メーカーではなく「オーナーズ・クラブの方が持っているので、それを融通してもらっているそうです」とのこと。販売価格は247万円。このクルマが過ごしてきた時間と、それに掛けられた手間や愛情を思えば、決して高くはない気がする。ちなみに1961年当時の新車価格は65万5,000円だった。この年の大卒平均初任給は1万5,700円だったから、現在の貨幣価値に換算すれば、なんと約850万円にもなる。



5人が乗れる軽量な車体に、イタリアン・デザインを採り入れた美しいスタイル。"ノーマルでは" 燃費と実用性を重視したエンジンと、スポーツ・サルーンとしての高い資質を持つ足回り。軽くチューンすれば同排気量のスポーツカーに負けない走りを見せるコンパクトな4ドア・セダン。今の時代、運転とクルマが好きな30〜40代の人たちにとって最も必要とされているのは、「ハチロクの再来」よりも「現代版コンテッサ」の方かも知れない。

興味を抱かれた方は、以下のリンクからお店のサイトをどうぞ。

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