半世紀ぶりに図面から復元された「トヨタ パブリカスポーツ」!(後編)

Autoblog JP(オートブログ) / 2013年8月3日 21時0分

半世紀ぶりに図面から復元された「トヨタ パブリカスポーツ」!(後編)


<前編からの続き>

それから時は流れて45年後の2007年。トヨタを定年退職されていた諸星和夫氏は、以前よりショーカーの製作などを依頼していたことからお付き合いのあった「安藤さんのスタジオにふらりと寄ったら、ヘンテコなスケール・モデルを造っていたのを見付けた」そうである。それは4枚ほどしか残っていない写真と、中学生時代の記憶を頼りに安藤純一氏が製作したパブリカスポーツの1/5モデル。ただし諸星氏には実車と随分違って見えたそうで「安藤さんが、こうに違いない、こういう風に作りたい、という気持ちが出ている。しかし、これは違うと(笑)。どうしても(実際より)低く、幅を広くしたがるのよ(笑)」

Gallery: Toyota Publica Sports : MEGA WEB


 

Gallery: Toyota Publica Sports : Nostalgic 2days


 
これを見た諸星氏は「このクルマに熱烈な想いを持った人がいる」と、安藤氏と共にパブリカスポーツの復元を決意。トヨタ社内で資料を探し、復元用の1/5外形線図を作成する。こうしてパブリカスポーツの復元プロジェクトは動き始める。

そしてこのプロジェクトには、1/5スケール・モデルを製作されたディティエム社長の小森康弘氏や、デジタルによる形状データ取得などを担当された東京貿易テクノシステム社長の上田俊昭氏をはじめ、多くの人々が参加されていく。



諸星氏が探し出した資料には、関東自動車で担当された満沢誠氏の印鑑が押してあった。「それを見て、満沢さんを探せ、と」。1929年生まれの満沢氏は、パブリカスポーツについて訊かれると、最初「覚えてないよぉ」と仰ったという。「それが途中からどんどん元気になられて、思い出してくださった」と安藤氏は言う。

満沢氏によれば「私が何枚か図面を書いているはずなのに、それが見つからないでは作れない。そこで関東自動車に行って色々と探していたら、マイクロフィルムが残っていた」そうだ。

それまでは現存している写真から形を決め、「もうこれで行きましょう、とみんなで決めた。そしたら図面が出てきたので、かなり作り直すことになった」と安藤氏は語っている。



しかしこれで復元プロジェクトは実車製作に向けて一気に前進。安藤氏のスタジオで1/1モデルが製作され、そこから型を取り、関東自動車OBの方によって当時の手作業による板金を再現。特徴的な二重フロアも製作された。エンジンはトヨタ スポーツ800から流用するのではなく、パブリカの697cc「U型」をいくつか探し出し、オーバーホールして使える部品を組み合わせ、1基のエンジンに組み上げたそうだ。これにツイン・キャブレターを装着してオリジナルを再現したという。

以上の過程からお分かりのように、このプロジェクトはよく似たトヨタ スポーツ800をベースに、パブリカスポーツのレプリカを製作したわけではない。いくつかパーツを流用したり、キャノピーのスライドレールなど当時の構造とは異なる点があるにせよ、図面からもう一度新たに製作されたクルマなのだ。




作業に関わられた安藤氏によれば「今のクルマを作るよりも遙かに大変だった。当時、これを設計した人たちは本当に素晴らしいと思った」という。「クルマ作りを真剣に考えて、作られていたのだということを改めて教わった。我々の世代も、若い人たちが"クルマっていいよね"と思えるような、クルマを作っていかなきゃならない」

また、諸星氏は今回のプロジェクトによって、「モノを作るということは、1人じゃできない。また、技術だけがあっても作れない。技術論じゃなくて志(こころざし)論というかな、人と技術ではじめてモノ作りができるというということを、改めて教えられた」そうだ。「先輩に教わったことが、今の自分を作っている。モノを作るということは、単に新しい物を探すだけじゃない。そこに積まれている石垣の下にベースの世代の志や努力があり、その上に今がある。(図面を書く作業も)今はコンピュータで出来るようになっているけれど、(パブリカスポーツの復元では)いいクルマにしようという一念で線を引いた。若い人たちにも、そういうものを大事にして欲しい」と仰っていた。

満沢氏は次のように語っていらっしゃる。
「(復元が完成したパブリカスポーツを)今では"無次元の世界"に行っている先輩方にお見せしたい。そしてこれを見た若い世代の人たちが、どう受け止めるか。どう次の世代に繋げていくか、ですね」




3人が異口同音に仰るのは、復元作業を通して当時の人々から教わることが多かったということ。そしてこれを見た若い人たちの参考(おそらく、"刺激"という意味も含まれるのではないかと筆者は感じる)になれば、ということだった。そもそも、パブリカスポーツをはじめに企画した長谷川氏にも、戦時中に培った航空機技術を次の世代の産業となるクルマ作りに伝えたい、という想いがあった。50年の月日を経てなお、この名車が担っている役目。それはひと言で言えば「モノ作りの伝承」だろう。伝えるのは技術だけではない。志、情熱、そして夢である。

「過去、現在、未来、夢は何所にでもある」
パブリカスポーツの生みの親、長谷川龍雄氏の残した言葉だそうだ。彼の生きた時代を想像すると、その意味は我々が思うよりも、きっと重い。

復元されたパブリカスポーツは7月まで東京都江東区のMEGA WEBに展示されていたのだが、現在は終了。しかし、また今後も各地の施設やイベントで見ることはできそうだ。愛知県長久手市のトヨタ博物館では、2014年1月18日~4月6日に「パブリカスポーツとトヨタスポーツ800」という企画展の開催が予定されている。自動車をはじめとするモノ作りに関わる方、これから関わっていきたいとお考えの若い方には、特に是非ご覧いただきたいと思う。


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