【明野ボーイズ】守備にセンスを感じさせた源田、普通の中学生だった阪神2位小幡

ベースボールキング / 2019年4月3日 12時0分

「小さくて細くて。ただ守備は上手かったですよ。とくに三遊間のさばきは見事でしたね。ハンドリングがじつに素晴らしかった。あの時点で肩が強い弱いはちょっとわかりませんでしたが、守っていてもじつにセンスを感じさせる子でしたね。それでも今のような形になったのは、社会人に入ってからでしょう」

というのは、源田壮亮在籍時の監督で、過去に初出場の明豊を甲子園ベスト8に導いた実績を持つ小玉孝さんだ。小玉さん自身が社会人野球の新日鉄広畑で都市対抗野球優勝を経験し、社会人ベストナインを受賞したほどの名遊撃手だった。そんな小玉さんを「グラブもしっかり立っていたし、守備に変な癖はなかった」と唸らせるあたりは、さすがに2018年パ・リーグのゴールデングラブ遊撃手だ。

また、嶋津義美球団代表も源田の印象は「主に守備面で残っている」という。
「体は大きくなかったですね。ただ、守備は本当に上手かった。ソフトボール出身なので捕ってから送球までのスピードがとにかく速かったです。打撃に関しては社会人時代もそうだったように、長打の少ない打者でしたね。クリーンヒットを狙って三遊間を抜くような当たりがとくに多かったと記憶しています」

延岡学園在学中から「同じ遊撃手の源田さんが目標」と公言していた小幡竜平も、中学時代は打撃で目立つタイプではなく、堅実な守備が光っていたそうだ。嶋津代表が振り返った。
「動きが柔らかかったですね。打球への入り方も良かったし、捕ってからの送球も基本がかなりできていた印象があります。肩の強さはそこそこでした。源田にしてもそうですが、将来的にプロになりそうな片鱗だとか雰囲気だとかはまったく感じませんでした。どこにでもいるような普通の中学生でしたから」

源田や小幡が育った大分市明野地区は小学生のソフトボールが盛んな土地柄で、ともに小学校時代はソフトボールクラブでプレーしたという共通点がある。ちなみに大分明野ボーイズに所属する選手の大半がソフトボール出身者で占められている。以前、源田は取材でこんなことを証言してくれたことがあった。
「ソフトボールはリードができないので、最初は離塁のやり方がまったくわかりませんでした(笑)」



一方、入団当時からすべてにおいて他を圧倒していたのが中村宜聖だった。嶋津代表によると「入ってきた時から体が大きく、小学生離れしていた」と、頭ひとつ抜けた存在だったという。
「当時は入団セレクションを行なっていたのですが、技術的項目ですべてトップの成績だったのが中村です。肩もめちゃくちゃ強かった。中村が総合トップで小幡が3位でしたね」

実際に入団してからの中村で印象深いのは「他の追随を許さぬ真面目さだった」と球団幹部は口を揃える。球団の志賀和男会長に証言してもらおう。
「野球に取り組む姿勢が本当に素晴らしかった。とにかく真面目で、全体練習が終わっても黙々とバットを振っているような子でしたね。練習のやり方も自分で考えることができた。これができる子って、中学生では本当に珍しいです」

中村の父は日本文理大監督で、1992年夏の甲子園で優勝した西日本短大付(福岡)の主将だった中村壽博さんだ。そうした家庭環境にも恵まれていたこともあるだろうが、律儀で真面目な性格が育成とはいえ夢のプロ野球への道を切り開いたのだろうと球団スタッフは言うのである。

3人の偉大な明野ボーイズOBたちは、それぞれに異なった立場で新シーズンを迎える。3人の恩師から贈られるエールを糧に、各自の目標達成に向けて頑張ってもらいたい。
「源田君には長打を打てる2番打者を目指してほしい。今の野球は、2番打者に打ってチャンスを広げる、あわよくば返すというような役割を求めている。それに応えられるだけの大きな選手になってほしいですね」(小玉)

「小幡君は早く一軍に上がってほしいのですが、2年後に期待しています。中村君は一日でも早く育成を脱出し、支配下登録選手になってほしい。このふたりが成功するために必要なのは、やはり努力でしょうね」(志賀)

「一見普通の選手に見える子でも、真面目に努力をすれば夢がかなうんだということを3人が証明してくれたと思う。後輩たちの為にも、しっかり結果を残してもらいたい」(嶋津)

(取材/写真:加来慶祐)

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