【八王子学園八王子】中学女子バスケ部監督として全国優勝!異色の経歴を持つ野球部監督

ベースボールキング / 2019年5月20日 17時0分

2016年には八王子学園八王子の監督としてチームを甲子園の舞台に導いた安藤徳明監督。現役時代は桜美林高校の選手として明治神宮大会などでも活躍しました。学生時代から高校野球の指導者という夢を持っていたそうですが、監督として高校野球のユニフォームを着るまでには意外な道のりがあったようです。




――八王子学園八王子に赴任されるまで都の公立の中学校教師をしていたと聞きます。大学卒業後の経歴を教えてください。

「中学生の頃にお世話になった野球部の顧問の方に大学4年生の時『教育実習は中学か高校どちらがいいですか?』と相談をしました。そうしたら『中学に行ったからって高校の先生になれないわけではないし、なんなら私の学校に来なさい』と誘われました。そこでの教育実習が凄く楽しくて、高校野球の指導者という夢は頭のどこかに行ってしまい、たった3週間で『よし、中学校の先生になろう!』と決心しました(笑)」。

――その後、中学校の教員免許を取得し、八王子市立松が谷中学校に赴任。もちろん野球部の顧問を希望されたのですよね?

「はい。赴任と同時に野球部の顧問になることはできました。ただ、八王子という土地は昔からミニバスケットボールが盛んです。しかし、中学校にはバスケットボール部がない。毎年保護者から『子どもたちのためにバスケットボール部を作ってください!』と要求されていたらしいのです。そこで新任の僕に白羽の矢が立ち『野球を教えたい気持ちはわかるが、頼むからバスケットボール部も作ってくれないか?』と校長先生から頼まれました。そこで男子野球部と女子バスケットボール部両方受け持つことにしたのです。一日練習の時は午前中に野球部をみて、午後はバスケットボール部を見る。練習試合では野球とバスケット、両方と試合をしてくれる中学を探しましたね」。

――野球とは違い、バスケットボールに関しては安藤監督自身プレー経験がありませんが、指導する上で難しさは感じませんでしたか?

「当時は若くてエネルギーに満ち溢れていました。野球をずっとやっていたので勝負事には慣れていましたし、他競技でもとにかく勝ちたい気持ちが強かったです。私が指導できることには限界があるので、強豪校の練習を見学し、無理を言って試合をさせてもらい実力をつけていきました。ただ、それでも中々勝つことはできませんでした。なぜなら『八王子の決勝は東京都の決勝』と言わるほどレベルが高かったからです。野球部はすぐに都大会に出られましたが、バスケ部は全く勝てませんでした。それでも努力を続け、転勤する最後の年にやっと両方の部活で都大会に出場することができました」。

――ちなみに高校野球への未練というものは当時なかったのでしょうか?

「頭の片隅にはずっとありましたよ。だから、中学に在任中に都の公立高校の採用試験を受験しました。1次試験を終えてあとは実技と面接という段階まで来たとき、偶然八王子市民球(現在のダイワハウススタジアム八王子)に高校野球の試合を観戦しに行きました。息詰まる熱戦で『やっぱり高校野球はいいな』と思って観ていました。試合が延長戦に入り、急いでトイレに行こうと立ち上がったその時。ずっと足を組んでいたことを忘れ、立ち上がろうと思った瞬間に足がもつれ、スタンドの階段から転げ落ちてしまいました(笑)。

――大事な実技試験の前に大丈夫だったのですか?

「情けない話ですが捻挫です。実技なんてろくにできたものではなく、試験は不合格。そういった経緯もあり中学教師を続けることになりました。二度目に着任したのは町田市立堺中学校。野球部の顧問になりたい気持ちはありましたが、先に僕より若い先生が熱心に子どもたちを教えていました。邪魔をするのも悪いですし、引き続き女子バスケットボール部の顧問になりました。あの時のケガは神様が『もっとバスケットボールを真剣に教えて結果を残しなさい』という教えだったのかもしれません」。

――ということは、ケガがなければ都の公立高校の先生になっていたのかもしれないということですね。さて、堺中学では大きな結果を残したと聞きます。

「それまでけっして強い部ではなかったのですが、失礼ですが八王子市と町田市ではバスケットのレベルが違いました。前任の中学で教えていたことを続ければ都大会にはなんなく出場することはできましたし、今度は掛け持ちではないので私の指導の熱も高まり、関東大会に出場するレベルまでになりました」。

――当時はどんな指導スタイルだったのでしょうか?

「簡単に言えば昔ながらの怒鳴る指導ですよね。勝ちたい気持ちを前面に出していたので、子どもたちは恐かったと思います。でも、ある練習試合の時に気づいたんです。ミスをすると子どもたちが私のことをチラチラ見てくる。『またタイムアウトの時にキツイこと言われる』『私ミスをしたからまた怒鳴られる』そう思いながら毎日プレーをしていたのでしょう。それに気づいた時『好きなバスケットを楽しむのではなく、ミスをしたら私に怒られると思いながらプレーをするようになってしまった……』と後悔しましたね。

――そこから指導スタイルを変えたということですね。

「当時は私の言ったことに対して子どもたちは『はい』と『いいえ』でしか答えませんでした。そこをしっかり会話することから始めました。半年くらい経つと『なんであのプレーを選択したの?』と聞くと『こう思ったからしました』と自然と返すようになりました。『わかった。でもこっちのプレーの方が良くないか?』と私が言うと『ああ、なるほど。わかりました』と、会話が一方通行にならず両者が納得するように変化しました。

――ミスをただ怒るのではなく、ミスが起きた原因を指導者と選手で考える作業をしたわけですね。

「会話をすることに慣れると、試合中でもベンチとコートで上手くコミュニケーションが取るようになります。タイムアウトを取らなくても『次の作戦はこうしてみないか?』と私が声をかけると『わかりました、やってみます!』とアイコンタクトで意思疎通ができるようになる。そういったことができるようになるとプレーもスムーズになり、怒られる不安もないので子どもたちがノビノビと動き始めました。歯車がかみ合い、全国大会にも出場し、あれよあれよという間に日本一になることができました」。

――子どもたちとコミュニケーションを取ることが、指導者にとっていかに大切なことなのか彼女たちが教えてくれたんですね。

「八王子の前任の監督である池添法生さんは僕の高校の先輩でありましたし、松が谷中学校時代には野球部の教え子を進学させていたので面識はありました。ただ、畑違いのスポーツで結果を残し『あいつは何か持っている』と評価されたのは事実です。彼女たちが頑張ったおかげで昔からの夢であった高校野球の指導者になることができました。他競技を指導して気づいたことは今でも私の指導の基礎になっていると思います」。

(取材・写真:細川良介)

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