製薬営業から弁護士に…異色キャリアの倉重都弁護士が「女性差別」と戦う弁護団に志願した理由

弁護士ドットコムニュース / 2020年8月5日 10時36分

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2018年夏、日本を驚愕させる事件が発覚した。東京医科大学の入試で、女性や浪人生の得点を一律減点していたことが明るみになったのだ。

その後、順天堂大学、聖マリアンナ医科大学など、複数の大学で女性の受験生らについて不正な取り扱いがあったことが判明。直後に結成されたのが、「医学部入試における女性差別対策弁護団」だった。被害にあった女性たちを救うべく、有志の弁護士たちが立ち上がった。

そうした動きを見ていたのが、当時司法修習生だった倉重都弁護士だ。まだ弁護士登録をする前だったが、弁護団に連絡して参加を希望したという。

30代半ばで10年以上、働いた製薬会社を辞めてから、弁護士を目指した倉重弁護士。大先輩である女性弁護士の「これまでの人生すべてがあなたのキャリア」という言葉に背中を押され、女性差別問題に情熱を傾けている。(弁護士ドットコムニュース・猪谷千香)

●10年以上働いた製薬会社を思い切って退職

倉重弁護士の弁護士としてのスタートは決して早くない。大学は法学部だったが、「六法」が何か、全部は言えなかったと笑う。

卒業後の就職先は製薬会社。10年以上営業職として働いていた。スーツに身を包み、重いカバンを持って病院を渡り歩いた。会社に命じられ、東京から関西に転勤したこともある。仕事に追われる日々、自分を「鵜飼いの鵜」のように感じたという。

「なぜ人は会社員を目指すのかがわかりませんでした。会社から給料を与えられ、理不尽な上司や取引先の機嫌を取りながら、働かなければならない生活以外の選択肢はないか、考えていました」

そうした中、偶然にも転機が訪れた。

「当時、所属していた事業部が撤退することになり、退職した場合、まとまった退職金がもらえることになりました。だったらもう辞めてみようと思って、迷わずに退職しました」

退職した倉重弁護士が門戸を叩いたのはロースクールだった。水を得た魚とばかりに猛勉強をして、司法試験に合格する。

「不合格になる人も多い中、不安もありましたが、やっぱり会社を辞めてよかったとほっとしました」

●なぜ自分だけ家事を手伝い、弟は何も言われないのか?

数多ある選択肢の中、なぜ弁護士だったのだろうか。

「子どものころから女性に対する差別に疑問を持っていて、理不尽なことを変えていきたいという思いがありました。その積み重ねが、弁護士になろうと思ったきっかけかもしれません」

倉重弁護士には弟がいたが、いつも家事の手伝いを申し付けられるのは女の子の自分だけだった。

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