なぜNHKはオウム真理教の映像を「裁判の証拠」として使うことに反発したのか?

弁護士ドットコムニュース / 2014年3月10日 12時13分

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東京地裁が3月7日に懲役9年の判決を言い渡した元オウム真理教幹部・平田信被告人。その裁判の審理の中で、「メディアと司法」の間のトラブルが起きていたことをご存じだろうか。平田被告人らの教団での様子を取材したNHKの映像が証拠として採用され、法廷で裁判員向けに流されたのだが、NHKが「取材や報道の自由が確保されなくなる恐れがある」と反発したのだ。

今回のようなメディアと司法の対立は、これが初めてではない。検察や弁護側、あるいは裁判所が、テレビ番組の録画映像を証拠として提出するように求め、テレビ局側が抗議することがたびたび繰り返されてきている。過去には、最高裁判所まで争われた事例もある。

しかし、テレビ番組はそもそも、不特定多数の人が視聴する前提に作られている、と考えられなくもない。はたして、テレビ映像を裁判の証拠として使うことは、テレビ局が言うように「取材協力者の信頼を損なうおそれ」があるのだろうか。報道の問題にくわしい藤原家康弁護士に聞いた。

●「取材への協力」と「裁判への協力」は別のもの

「取材に協力した人の立場で考えると、彼らが協力したのは報道番組のための『取材』であって、裁判ではありません。

取材協力者の中には、『裁判の証拠として使用されるのは不本意だ』『裁判に利用されることがあるなら、取材には応じないことにしよう』と考える人もいるでしょう。

そうした人が増えれば、取材はどんどん難しくなりますね」

藤原弁護士はこのように説明する。

たしかに「報道への協力」と「裁判への協力」は、同じではない。番組制作側が不用意に映像を渡せば、「せっかくあなたたちを信頼して取材を受けたのに、裁判所に渡すとは何事だ」と、取材対象者から怒られる可能性もあるわけだ。

そう考えると、「取材協力者の信頼を損なうおそれ」という主張にも一理あるように思えるが、それは裁判以上の大問題なのだろうか? 藤原弁護士の答えは次のようなものだ。

「取材の自由が十分に保障されることは、適切な報道を行うため、ひいては市民の知る権利を実質的に保つために必要なことです。また、市民が適切な情報に基づいて意思決定をすることは、民主主義の前提でもあります」

●日本の裁判所は「取材の自由」にどこまで配慮しているか?

つまり、これは単にメディアと裁判所の争いにとどまらず、「市民の知る権利」と「裁判の公平性」との調整問題ということになるのだろう。日本では、このバランスはどのように保たれているのだろうか。

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