<佐世保女児殺害>「答えが出なくてもいいかな」(被害者の父と兄が語る10年・下)

弁護士ドットコムニュース / 2014年6月1日 13時40分

写真

関連画像

佐世保女児殺害事件で小学6年生の妹・御手洗怜美(みたらい・さとみ)さんを失った次兄は、高校入学と同時に、父の恭二さんとともに佐世保から福岡へと移った。だが、事件のことを忘れるのではなく、むしろ「あのとき、どうすればよかったのか」という思いに悩まされるようになる。自分の気持ちを誰に話せばいいのか――そんな苦悩を救ったのは、意外にも、教師やカウンセラーではなく、一人の新聞記者だった。

●父は「自分のためについてきてくれ」と息子に頼んだ

藤林:結局、事件直後から数カ月間、お兄さんは、自分の思いを語ることができる人に出会わないまま、月日が流れていった。中学3年生ですから、受験になるわけですよね。受験勉強は、手につきましたか?

兄:逆に、受験勉強に手をつけることで、できるだけ思い悩まないようにしていました。

父:進路については、当時、相当に激論をかわしました。僕は翌春、佐世保を離れて福岡に赴任することが、ほぼ決まっていました。息子を福岡に一緒に連れていくか、佐世保に進学するか。本人の希望は「佐世保に残りたい」。けれども、僕は「残したくない」と。

兄:親父さんが「福岡についてきてくれ」というのも理解できていたんですが、「佐世保の友達と離れるのが怖い」という気持ちもありました。でも当時、いちばん自分の頭にあった存在が親父だったことは、間違いない。「結局は親父についていかなければいけないんだろう」という諦めも、少なからず持っていました。

父:もうこの際だから言いますが、最後は泣き落としでした。「自分のためについて来てくれ」と。一人で残すことは、親として心配でした。あの当時、「佐世保にはもう戻りたくない」という気持ちが強かったですから、何かあったときに駆けつけるのもしんどいな、と。僕が一人で福岡でやっていけるのかという不安もありました。ですので、本人の情に訴えました。

藤林:気持ちにフタをしながら受験勉強をして、泣き落とされて福岡に行って。友達とも別れて、福岡の生活が始まった。入学後、フタをしていた気持ちは、どうなっていったんでしょうか?

兄:逃避のために使っていた受験勉強がなくなった。そのせいで、高校に入ってから、フタをしていたものが、あふれ出てきました。事件前、加害者とのトラブルについて、怜美から相談を受けていた。解決する方向を聞かれて、アドバイスしたんですよね。実行してくれたのか最後まで確認しませんでしたが、その後、相談してこなかったので「仲良くなったのかな」と思っていました。でも、事件が起きて、「自分がしたアドバイスは間違っていたのかな」という思いにとらわれてしまって・・・。

日本最大級の弁護士/法律ポータルサイト。23万件の相談実績。無料法律相談・弁護士ランキング・口コミ弁護士検索でお悩み解決。他にも弁護士費用の見積比較・法律Q&Aなどの豊富なサービスとコンテンツで「インターネットを通じて法律をもっと身近に、もっと便利に。」

トピックスRSS

ランキング