「もう二度と心から笑える日はなくなりました」NHK記者過労死、両親が語った喪失感【会見詳報】

弁護士ドットコムニュース / 2017年10月13日 21時5分

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NHK首都圏放送センターの記者で2013年に過労死した佐戸未和さん(当時31)の両親が10月13日、東京・霞が関の厚労省記者クラブで会見を開いた。

会見では、これまでのNHKの発表内容や、10月4日に行われた公表の経緯などについて両親が自らの口で説明。さらに、亡くなった未和さんへの思いを涙ながらに語った。

生前の未和さんについて両親が語った内容の全文は以下の通り。

●「後日NHKから提示された勤務表をみたときに、私は泣きました」

(未和さん父)労災申請した当時の私たち夫婦の心情です。2013年の10月に正式に渋谷労基署に未和の労災申請をしましたが、陳述書があり、最後のページに当時の思いを書いています。それをそのまま読ませていただきます。

未和が生まれたのは私が31歳の時でした。結婚し、最初の子どもである未和が生まれ、人生これからと高揚感に溢れていた。その同じ31歳で、未和は突然この世から去ってしまいました。道半ばに達することもなく、人生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと、哀れでなりません。

親として我が子を守ることができなかったという深い後悔の念に苛まれながら、なぜ未和が突然死んだのか、何か予兆はなかったのか、助ける手立てはなかったのかと未和の遺影と遺骨に問いかける毎日です。

私は未和から、NHK入社後の最初の赴任地である鹿児島、その後異動した首都圏放送センターでの記者としての勤務がどういうものかよく聞かされていました。機械メーカーで長年営業に携わって来た私のような一般の会社員の感覚からすると、24時間臨戦態勢のような記者の勤務は、肉体的にも精神的にも過酷の一語につき、生活も不規則で、あの小さな体でいつもよく頑張っていると感心していました。未和はハードな生活にほとんど弱音を吐かず、周囲にも優しく接しながら、自分で選んだ仕事に誇りを持って、記者としてのキャリアを一歩一歩積み上げていました。

私は未和にエールを送りながらも、一方で、未和が記者という仕事に必然的に伴う不規則な生活を長い間続けることで、身体や健康が蝕まれることを親として非常に心配していました。未和には会う度に「我が身の健康第一、命より大事な仕事などこの世にはない」ということを伝えて来たつもりです。そのため未和も自分の身体や健康には留意していましたが、これまで酷使して来た体には鬼のように疲労が蓄積していたのだと思います。

NHKが総力をあげた平成25年の夏の都議選、参議院選の選挙取材では、未和は都庁クラブで一番の若手であり、独身で身軽なため、寝る間も惜しんで駆け回っていたようです。後日NHKから提示された勤務表をみたときに私は泣きました。待った無しの選挙取材で時間に歯止めはなく、土曜日曜もなく、ほとんど平日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。

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