芸能界のスターたちが戦った86年前の「桃色争議」、今に通じる「世論が味方」の戦法

弁護士ドットコムニュース / 2019年7月15日 9時35分

世論が注目している水の江が相手と言うことで、警察側も手荒なことは出来ずに、かえって水の江の要求に従う始末でした。留置中のエピソードですが、同じように留置されていたデパート店員で共産党員の女性が取り調べから血を流して戻ってきました。水の江が「どうしたの」と尋ねると、彼女の答えは「警察にそろばんで殴られた」。当時は、拷問が当たり前のように行われていた時代でした。義憤に駆られた水の江は、警察官を呼んで「『警察は酷いところだ』と新聞記者に言う」と言います。水の江達の争議は世論が注目していた事件です。大騒ぎになってはたまらないと考えた警察側は医者を呼び、女性を手厚く手当することになりました。警察が如何に水の江に気を遣っていたかが分かるエピソードです(中山『タアキイ』195-196頁)。

●リーダーたちは解雇や謹慎になったが、要求のほとんどは認められた

松竹は、7月1日に水の江を解雇しました。前年の争議に勝利した会社側としては、強硬姿勢を続けていけば、争議団も自然消滅すると考えたのでしょう。

しかし、会社側の思惑とは異なり、松竹の姿勢に対して、世論は争議団側に同情的でした。なんと言っても、水の江は、トップスターであり、彼女の後援組織である水の江会は、会員2万人を擁していました。争議団の団員達も未成年の女性ということで世論は彼女たちの味方でした。水の江を拘禁していた警察も、直ぐに解放しました。

また、この事件はライバルの宝塚歌劇団を利する結果となってしまいます。争議によって、観客動員数は落ち込み、逆に宝塚側は動員数を伸ばしています。

争議の悪影響は明らかであり、7月13日から労使交渉が開始されました。7月17日に生理休暇以外の改善要求が通り、交渉は妥結しました。解雇者24人中5人は無条件復職、残りは2か月間の謹慎処分となり、改悛すれば復帰させ、その間の賃金は全額支給と言うことになりました。

大阪でも、交渉は妥結し、それぞれのリーダーだった飛鳥と水の江は、それぞれ解雇と謹慎ということになりました。しかし、争議団の要求のほとんどが認められ、実質的には争議団の勝利で幕を閉じました。

桃色争議は、トーキーという新技術と昭和恐慌という経済の荒波の中で起こった労働争議でした。世論の後押しもあり、争議団は要求を認めさせることに成功しました。しかし、この時の争議団の要求は、今から考えると当然のものであり、大人気だった歌劇部を会社側が搾取していたと言われても仕方のないものです。

現代でも、芸能界では、事務所と所属タレントをめぐって、様々な問題は起こっています。過去と現代を同一視することは出来ませんが、例えば、NGT48の問題でも、世論の大きなうねりが事態を動かしました。世論とともに戦った水の江は2009年に亡くなりましたが、彼女が今の芸能界を状況をみた場合、何を思うのでしょうか。

<参考文献> 井上雅雄「戦前昭和期映画産業の発展構造における特質―東宝を中心として」『立教経済学研究』第56巻第2号(2002年10月)。 中村正明「戦前期日本の映画労働組合の変遷」『大原社会問題研究所雑誌』第700号(2017年、2月)。 中山千夏『タアキイ―水の江瀧子伝』(新潮社、1993年)。

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