ヤクルト戦力外から上場企業の管理職に。27歳元プロ野球選手を救った言葉

bizSPA!フレッシュ / 2020年7月19日 8時47分

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勤務先のGLMは不動産業界のリーグに参加している。又野さんが登板することもあるそうだ

 プロ野球選手のセカンドキャリア観に大きな変化が起きている。日本野球機構(NPB)が2011年から行う「セカンドキャリアに関するアンケート」では、「引退後にやってみたい仕事」の1位は長らく「野球指導者」だった。

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 しかし、2018年に「一般企業会社員」、2019年に「会社経営者」が初めて1位を獲得し、球界以外の“第二の人生”を視野に入れる選手が増えている。

◆戦力外から上場企業で管理職に

 一方、高卒でプロ入りし、野球のことしか知らない選手にとって、ビジネスの世界のハードルは決して低くない。そのハンディキャップを乗り越え、20代にして東証一部上場企業で管理職を務める元プロ野球選手がいる。不動産ソリューション企業のグローバル・リンク・マネジメント(GLM)に勤務する又野知弥さん(27歳)だ。

 2014年オフに東京ヤクルトスワローズを戦力外となり、翌年同社に入社。2年目には社内最速で課長代理に昇進を果たした。しかし、最初から順風満帆だったわけではない。

「入社して、最初に戸惑ったのがパソコンの文字入力でした。ローマ字入力なんてしたことがないので、“ファ”とかのレベルになると、もうお手上げでした。あと、コピー機に触ったこともなかったので、コピーが一瞬で済むことを知らなかったんです。いつ終わるかなって、自分のデスクでずっと待っていました(笑)。初日から怒られた、というか呆れられていた気がします」(又野さん、以下同じ)

◆プロで野手に転向したものの…

又野知弥さん

又野知弥さん

 プロでの経験が生かせるどころか、マイナスからのスタート。そこから、どのように大逆転を成し遂げたのか。

 又野さんは北海道・北照高校のエースとして、春夏連続で甲子園に出場。2大会で本塁打を放った長打力を買われ、2010年にドラフト4位でヤクルトに入団した。しかし、投手から野手への転向がプロ入りの条件だったことが、大きなつまずきとなった。

「野手としてはイチからの出発でした。はっきり言って、高校生より下手でしたよ。毎日とにかく守備の基礎練習を繰り返しました。しかし、守備に集中しすぎると、今度はバッティングがおかしくなり、次第に『何でプロ入りしたんだろう』とメンタルまで崩れていきました」

◆トライアウトが転機になった

又野知弥さん

 全力は尽くしたが、思うように活躍できないまま4シーズンが経過し、ついにその日を迎えた。

「9月30日に担当スカウトから『明日、球団事務所に来てくれ。意味は分かるよな』と電話がかかってきました。薄々は感じていたので、翌日に戦力外を言い渡された時も、しょうがないよなと納得していました。でも、帰りの車で突然、目の前がチカチカし始め、いつの間にか涙があふれていました。自分には野球しかなかったのに、その野球すらもうできない。頭で理解するより前に、心と体が反応していました」

 トライアウトでは声がかからなかったが、もう一度投手として社会人野球で再出発したい気持ちもあった。実際に複数の社会人チームからオファーがあり、練習にも参加したが、「プロの4年間で完全に野手の投げ方になっていたんです。これでは直球のキレやコントロールを取り戻すことは難しい。ピッチャーには戻れない」と断念した。そんな時、トライアウトで渡された一枚の名刺が目に入った。その会社がGLMだった。

「社会人野球では派遣社員という立場も多い。結局は第二の人生を踏み出す時に、就職先を探さないといけない。しかも、22歳の今なら大卒の同級生と横並びの年齢でスタートできる。野球への未練はありましたが、話だけでも聞いてみようと思いました」

◆脳裏をよぎった恩師の言葉

 GLMの担当者から「不動産投資を通じて、お客様の豊かな生活の実現を目指している」と話を聞いていた時に、ヤクルト時代の恩師・土橋勝征2軍コーチに言われた言葉がふと脳裏をよぎった。

「土橋さんの指導は厳しかったのですが、愛がありました。口数が少ない方でもあるのですが、ある日珍しく『プロは何が何でもポジションを奪いに行く世界だ』と檄を飛ばされたんです。でも、僕は人を蹴落とす気持ちにはなれなくて、それが顔に出ていたんでしょうね。その後、『お前は優しすぎる。人のためになる仕事をしろよ』って、冗談っぽく言われたんです。その言葉がずっと心に残っていました」

 又野さんは「人のためになる仕事」だと確信し、入社を決意。投資用不動産の営業マンとして第二の人生を歩み出した。しかし、ビジネススキルも不動産の知識もゼロ。人のためになりたい思いだけで、どうにかなるほど世の中は甘くなった。

◆同期の山田哲人選手に救われる

又野知弥さん

勤務先のGLMは不動産業界のリーグに参加している。又野さんが登板することもあるそうだ

「入社して1年が経っても1件も契約が取れませんでした。中には元プロという経歴に興味を持ち、話だけは聞いてくれるお客様もいましたが、『面白いね』と言われておしまい。気づけば、次の新入社員が入ってきて販売実績ゼロの先輩になってしまいました。結果が出ている同期もいて、悔しくて夜も眠れない日もありました」

 実りのない商談ばかりで、心は折れる寸前。そんな時、友人から「飯に行こうぜ」と連絡が入った。ヤクルトの同期入団の山田哲人選手からだった。

「哲人とはものすごく仲が良くて、プロを辞めた後も連絡を取っていました。僕が暗い顔をしてご飯を食べていたら、『試合を見に来いよ。俺は野球で頑張っている姿しか見せられないから』と励ましてくれました。その時に『野球と会社員の世界は違うけど、どちらも人を喜ばせる仕事ということは同じだろ』とも言われ、ハッとさせられました」

 そして、入社から1年2か月後、ついに初めての販売契約を結ぶことができた。

◆今はお客様と向き合う日々が楽しい

「哲人の励ましもヒントでしたが、そのお客様と契約を進める中で、お客様に喜んでもらうために心から行動すれば、必ず成果がでることに気づきました。不動産は長期のお付き合いになります。契約を取ろうとするのではなく、お客様としっかり関係を築くことが大切だったんです」

 そこから又野さんの快進撃が始まった。その月だけで3件の契約を取り、社内で一躍脚光をあびる。順調に販売実績を上げ、翌年には課長代理に昇進し、同期の出世頭に躍り出た。現在は海外事業部に異動し、課長として海外の顧客を任されている又野さんは「プロに入れたのは、いい経験だったと改めて感じています」と振り返る。

「この会社に入ったのは、土橋さんの言葉があったから。心が折れなかったのは、哲人の励ましもありましたし、野球でメンタルを鍛えられたおかげでもあります。全部繋がっているんですよね。プロでは大成しませんでしたが、まだ会社員として成功したとも思っていません。プロでクビを切られて良かったのかもしれないし、良くなかったかもしれない。答え合わせはこれからですが、今はお客様と向き合う日々が楽しいんです。管理職になってからできた部下と一緒に結果を出すために、仕事に取り組む。とてもやりがいを感じています」

<取材・文・撮影/中野龍>

【中野龍】

1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿

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