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「ザ・プラン9」リーダー元相方が語る、個性的な同期に囲まれた青春時代

bizSPA!フレッシュ / 2021年7月20日 15時46分

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後藤秀樹さん

 知る人ぞ知るお笑いコンビ「シェイクダウン」のツッコミを担当。変幻自在のお笑いグループ「ザ・プラン9」のリーダー・お〜い久馬の元相方である後藤秀樹さん(49歳)。大阪・心斎橋にあった「2丁目劇場」をホームグランドにコンビで活動を展開し、突如巻き起こった2丁目劇場ブームの中心的芸人に。

後藤秀樹さん

後藤秀樹さん

 コンビ解散後は、ピン芸人や吉本新喜劇のメンバーとして順調に活躍していたにも関わらず、2014年にひっそりと芸人を引退した。一体、どのような思いを持って、芸人を辞め、新たな道に踏み出したのか。今では伝説となっている2丁目劇場ブームの中でどのような芸人人生を歩み、コンビ解散に至ったのかについて話を聞いた。

◆個性的な同期に囲まれて

――芸人を引退した人は、構成作家や芸能プロダクションの経営など、何かしら芸能界に残るパターンが多い中ですよね。ちなみに……後藤さんはどなたの再就職先を知りたいのですか?

後藤秀樹(以下後藤):いっぱい、いますよ。例えば、「プラスチックゴーゴー」の南郷(和幸)とか、「誉」の宇野(誠)でしょ……いや、誰が知ってんねん(笑)。

――同期芸人さんですよね(笑)。振り返ってみると、今も活躍されている同期の方はどなたも個性的ですね? メッセンジャー、水玉れっぷう隊、ジャリズムと錚々たるメンバーばかり。

後藤:言われて見ればそうですね。個性的って言うと、NSCの時からジャリズムの渡辺(あつむ)君はズバ抜けていましたね。1人でギャグやったりして人気がありましたよ。

――元相方の久馬さんの印象はどうだったのですか?

後藤:うーん……。正直ね、そういう印象は無いんですよ(笑)。授業には、毎回来ていたという程度で。当時ぼくは、高校の同級生と一緒にNSCに入ったので、ほかの人には目が向いてなかったのかな。

◆手応えが無いままスタートした

後藤秀樹さん

――じゃあ、同級生の方とコンビを解散した後に、久馬さんからお誘いがあって?

後藤:詳しい経緯を言いますと、同級生とのコンビを解散した後に一度、芸人を辞めてるんですよ。NSCには半年ぐらいしか通っていなくて。それで、どういうワケか突然、久馬君から電話があって。「一緒にコンビ、やれへんけ?」って。ぼくはもう芸人を辞めていたので、断ったんですけど、「NSCの卒業公演だけでいいから」って口説かれて。渋々、引き受けた感じですね。

――大きな夢を持ってスタートしたわけじゃないんですね。

後藤:全然、ですよ。しかも、その卒業公演もウケてなかったですし。客は当たり前ですけど、芸人からの笑いも無い状態で……。

――それでなぜ、コンビを続けようと?

後藤:出番が終わった後に、2丁目劇場の構成作家さんが「お前ら、おもろいやん」って言ってくれて。もっと正確に言うと「君、ツッコミええやん」って褒められたのが嬉しくて(笑)。だから、僕らとしては全く手応えが無いまま、「とりあえず、10年やって売れへんかったら辞めよう」っていう期限だけを決めてスタートしたんですよ。それが1992年です。

◆2丁目劇場で過ごした青春の日々

後藤秀樹さん

――当時、お二人のホームグランドだった2丁目劇場で活躍していた芸人さんの話を聞くと、かなり無茶なことをやっていたそうですね。漫才コンビのティーアップの前田さんが、原付きバイクで舞台を横切ったり……。

後藤:そんなんもありましたね! 正月になるとお酒飲んで舞台にあがったりね。あと、ジャリズムの渡辺君が、どういうわけか舞台セットの高いところに立ってたんで、みんなで「そこから飛び降りる勇気ないやろ!」って煽ったら、ほんまに飛び降りて、足折ったり(笑)。

――本当にめちゃくちゃですね(笑)。その中で、最初に世の中に出たのは、水玉れっぷう隊だったと思うのですが、印象はどうでしょうか?

後藤:色々、漫才の賞レースでも勝ち抜いてましたよね。僕がよく覚えているのは、2丁目劇場の支配人にめちゃくちゃ気に入られていたことですかね(笑)。

――ネタの印象ではないんですね(笑)。それは、どういう理由ですか。

後藤:彼らは、芸人になる前に「アランドロン」っていう大阪で有名なショーパブでダンサーをしてまして、デビュー当時からファンがおったんですよ。

 だから、水玉が出番ってなると、客席にキレイなお姉さんたちがズラッと並びまして、いつもの雰囲気と変わるんです。支配人の立場を考えれば、お客さんを連れて来てくれるから好きになりますよね? だから、好かれたんちゃうかなと(笑)。

――とてもわかります(笑)。じゃあ、当時は嫉妬も多少は……。

後藤:まだ20歳そこそこですから、正直ありましたね。2人とも性格は良いし、男前やし、客にウケてるしで、妬み嫉みの対象でしたよ(笑)。ぼくらは、人気もカネも無いしね。

――デビュー当時は、かなり鬱屈した時代だったんですね。

◆作り込んだネタで勝負しようと決めた理由

――ネタは、久馬さんが考えていたのですか?

後藤:いえいえ。最初は、2人で考えていたんですが、途中から久馬君が考えてきたネタを、ぼくが「やる」「やらない」を決めるスタイルでした。今思うと、なんか偉そうな感じがしますね(笑)。

――相方が書いてきたネタを審査するワケですからね。

後藤:えぇ。ツッコミの部分だけ空欄になっていて、ぼくが自由に考えてツッコミをする感じでしたね。

――シェイクダウンの漫才と言えば、今のザ・プラン9にも通じるような緻密に作り込まれたネタが特徴だったと思います。当時はもっとラフに漫才やコントをしていた芸人さんが主流だったと思うのですが。

後藤:結局ね、ぼくらは2人とも瞬発力を求められる現場が苦手だったんですよ。トークはもちろんですけど、ゲームコーナーなんかもそう。だから、ラジオ番組を担当した時は、オープニングトークの台本を事前に用意していたぐらいですから。だから、ネタで勝負しようと。

 久馬君は作家としての力は当時からすごかったので、時間ギリギリまでネタを作り込んで勝負すれば、他の芸人に負けないだろうっていう。

◆打ち上げは夜9時で帰っていた

後藤秀樹さん

――あえて、苦手な分野に飛び込まなかったのですね。ただ、トークやゲームに積極的に取り組まないとなれば、芸人仲間の方々との交流は減ってしまうんじゃないですか? チームプレーの笑いに参加しないというか。

後藤:それは、ありましたね。ぼくらだけ“まわりとちょっと違う”っていう感じに見せようとしていたワケですからね。何より、2人ともお酒が飲めないんですよ。

――じゃあ、そもそもお付き合いができないですね?

後藤:そうなんですよ。だから、イベントが終わって打ち上げに行っても、だいたい夜の9時ぐらいには帰るんですよ(笑)。ほかの芸人は、朝方まで飲んでるのに。しかも、2人とも実家通いだったんで、大阪市内の劇場まで遠くて遠くて……。だいたい若手の芸人は出番が無くても劇場に来るのに、ぼくらは「そんな時間があるんやったら、ネタの稽古しようか」って。

――芸人さんの世界でも孤高のそうしたスタイルが通用するんですね。

後藤:それは本当に感謝してますよ。無理矢理、付き合えっていう先輩もいなかったですし、怒られたこともないし。あと10年ぐらい早くこの世界に入っていたら、芸人を続けられなかったでしょうね。

◆下戸なのにビールのCMに出演

――その分、「ネタで勝負しよう」という気持ちが強くなって、どんどん成果を挙げ始めるんですよね。観客が審査員を務めるネタ番組『爆笑BOOING』(関西テレビ)で5週勝ち抜きを3回。さらに、観客が順位を決めるネタ番組『すんげー!Best10』(ABC)でも、常連コンビとして出演されていました。その時のお気持ちはどうでした?

後藤:最初は、「おっ、おれらもできるやん」っていう(笑)。だけど、あとから考えたら千原兄弟さんが中心になって盛り上がった2丁目劇場ブームというのもあって、その勢いの中でちょっとだけ世に出れたっていう感じですよね。

――ゲームコーナーが苦手と言いながら、清水圭さんと和泉修さんが司会をしていた『笑いの剣』(ABC)という番組にも出演されていましたよね?

後藤:振り返ると、辛い思い出がないっていうことは、それほどゲームは苦手じゃなかったんかな(笑)。いちばん覚えているのはビールのCM制作対決っていうのがあって、それでぼくの作品が優勝して、期間限定で本当のCMで使ってくれたんですよ。

――すごいじゃないですか! ちなみに、どんな内容だったのですか?

後藤:ビールにツッコミを入れていくっていう(笑)。

――後藤さんの真骨頂ですよね(笑)。

後藤:ただ当時はね、お酒が飲めなかったんで、司会の圭・修さんに「そんなんあかんで」ってめっちゃ怒られた思い出がありますわ(笑)。

◆理想と現実の間でコンビ解散を決意

後藤秀樹さん

――そういうふうに活躍をされていた中で、とうとう2000年にコンビを解散されています。これは、久馬さんのほうから「メンバーを増やしたい」と相談されたことがきっかけなのですか?

後藤:えぇ。なんばグランド花月の1回目と2回目の舞台の休憩中にそんな相談をされたんですよ。それを言われるっていうことは、「あぁ、ぼく1人では、もうあかんねや」って思ったんで、「じゃあ1回、シェイクダウンは解散しよう」って言って。ぼく以外の誰かの手に、これから加入する芸人に久馬君を託そうと。

――久馬さんはその判断をすぐに受け入れてくださったのですか?

後藤:10年近くコンビをやってきて、共通の思いとして「もう一歩、次のステージに行けてない」という思いを互いに持っていたんですよね。今から思えば、2丁目劇場から出発して、なんばグランド花月の出番をもらえているワケですから、地道にネタを続けていけば、コンビとして夢だったトリの出番をとるような漫才師になっていたかもしれないんですけど……。

――どこでもう一歩、次のステージに行けてないと感じられたのですか?

後藤:象徴的な出来事で言うと、ある時に営業で漫才をしたらめちゃくちゃスベったんですよ。当時は、漫才に自信を持っていたしネタも良かった。なのに、ウケなかったんです。しかも、一緒に出演した後輩のシャンプーハットはドカーンってウケたんですよ。

 これまでね、失礼な話、後輩のことをライバルとかそういう目じゃなくて、「君らなんかに負けへん」っていう余裕みたいなものがあったんですよ。それなのに、同じ客の前で明暗が分かれたワケですから、気持ち的にしんどい部分もあったんです。

<取材・文/橋本未来 撮影/大森泉>

【後藤秀樹】
1972年、大阪府高槻市出身。1991年に同期のお〜い!久馬とコンビ「シェイクダウン」を結成。2000年に解散し、その後はピン芸人として活躍。2014年に芸能界を引退し、現在はひらかたパークに勤務。
Twitter:@hideki19720121

【橋本未来】

コピーライターオフィス「西林敏一事務所」に所属。主に関西圏で広告関係やマガジン系の仕事をしながら、映像の企画・構成なども手掛ける。芸人さんやちょっと変わった経営者さんなどの話を聞くのがライフワーク。写真は先輩ライターの後ろでこっそりと厨房を覗き込んでいるシーン

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