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愛知 “密集”音楽フェス、主催者の決定的な怠慢/ラッパー・ダースレイダー

bizSPA!フレッシュ / 2021年9月3日 8時45分

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『NAMIMONOGATARI2021』タイムテーブル ※公式Twitterより

 8月29日に愛知県で開催された野外音楽フェス「NAMIMONOGATARI2021」が、感染対策のままならない密な状況であったとして非難の声が殺到した。出演アーティストが謝罪文を出したり、開催地である常滑市の伊藤たつや市長が主催者へ抗議文を送付するなど、各方面に影響が及んでいる。

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 東京大学中退の経歴で、明晰な頭脳を生かしマルチに活躍するラッパー・ダースレイダー(44・@darthreider)の連載「時事問題に吠える!」では現代に起きている政治や社会の問題に斬り込む。

 2020年3月から日本は断続的な緊急事態宣言下に置かれているが、いま音楽・イベント業界が置かれている状況とは?「NAMIMONOGATARI2021」の問題の根本は何なのか? ダースレイダーが解説する(以下、ダースレイダーさんの寄稿)。

◆感染対策を怠っていた“超密集”音楽フェス

 「NAMIMONOGATARI」は2005年から毎年開催されている非常に大きな野外ヒップホップフェスです。毎年規模を拡大させていますから、開催を楽しみにしているファンも多いと思いことでしょう。ちなみに僕は一度も出演も参加もしたことがないという立場です。

 2020年は中止した「NAMIMONOGATARI」ですが、2021年はいっそう感染状況が悪い中での開催ということで、対策は万全にするように自治体との話し合いもあったそうです。ところが実際には、参加客らがSNSに投稿した動画から、感染対策の不備や密な状態の指摘が相次ぎました。そして翌日ニュースになったわけですが、出演アーティストのZeebraさんやAK-69さんなどから謝罪が主催者よりも先に出る形となりました。

 主催者の謝罪文がHPに掲載されましたが、「自分たちは要請に従ってやっていたがうまくいかなかった」という旨の話に終始しています。愛知県の大村秀章知事からは謝罪文の内容が誤っていると指摘され、後日一部で表記は事実ではなかったと主催側が認めています。

◆フェスは何かを訴えるために開催するもの

『NAMIMONOGATARI2021』タイムテーブル

『NAMIMONOGATARI2021』タイムテーブル ※公式Twitterより

 そもそも、フェスとはfestivalの略称、つまりは祭典です。祭典を開催する上で重要なのは「場所」と「タイミング」。祭典には、集まる人々が属する社会や文化の共通感覚に根ざした問題提起や感情表現が行われ、それを音楽の力がブーストさせていく構造があります。つまり、何かを訴えるために開催するものなのです。

 今回の「NAMIMONOGATARI」を受けて考えるべきことは、祝祭の機能についてだと思います。巷には、祝祭の上っ面だけを模倣し、本来の機能を備えていないものも多い。例えば、2021年の日本では平和の祭典とされるオリンピックとパラリンピックが開催されていてます。

 ただし、今年のほうが感染状況は2020年よりも数倍悪いということも分かっています。では、2021年の日本で祝祭を行う意味は何なのか? この前提部分を考えることがフェスを主催する側の義務であり、またそれこそが問われる部分だと僕は思います

◆東京五輪は“祝祭の模倣”である

開会式の菅義偉首相

オリンピック開会式の菅義偉首相(代表撮影:雑誌協会)

 僕はその意味において、コロナ以前からオリンピックを批判しています。なぜならば、オリンピックというものが祝祭の模倣にほかならないから。政府が国民に対してある種の共通感覚を作り上げ、行政がイメージする国家像をブーストさせる機能として使われていると僕は捉えています

 コロナ禍の2021年において行政がすべきは、民間イベントができる環境整備、つまりコロナ対策を徹底してやることでしょう。それによって、民間は各コミュニティの祭典を企画できる。僕はこの順番以外はありえないと思っています。しかし、コロナ禍で行政は自分たちの祝祭の開催にかなり注力しました。その結果、コロナ対策も中止・延期の補償の仕組みも整わないままに、民間はそれぞれの祝祭を開催せざるをえないという結論になっていきます。

 大規模なイベントの開催には、会場決めを含め、自治体・行政との協力は不可欠です。政府の補償制度が整わない状況で民間がイベントを行うためには考えるべきことがたくさんあります。もちろん、赤字覚悟で中止・延期の判断を下した主催者もたくさんいるでしょう。僕はそういった判断は非常に尊重すべきだと思います。

◆フジロックへの補助金が正当である理由

 同じ音楽フェス「フジロック」に経済産業省から補助金が出ていたことにやっかんでいる人もいるようですが、これはコロナ関係なしにもともと利用できる「J-LODlive(コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金)」という制度があるそうです。

 そもそもこれらのお金は私たちの税金から賄われており、「政府から金をもらって政府批判かよ」という声は筋違い。政府が親で、国民が子のごとく振る舞う人たちには、早く本当の民主主義に出会い、親離れしてほしいと、僕は強く思っています。

 と、話が少しそれましたが、開催する判断をする場合には、2021年のコロナ禍の日本でフェスをやる意味をよく考えること、そして覚悟が必要になってくると思います。極端な話をすれば、「コロナはただの風邪だ、感染対策なんか必要ない」といった考えの人々が民間のフェスを開催するということだって、僕はそれはそれでアリだと思います。支持するしないは別ですが。

 ただその結果、感染が拡大することも含めた責任を主催者がとることも含めて、それでもやるんだといったアナウンスが必要でしょうし、その結果どうなったかという事後報告も同様に大事です。それが社会の中で大きなイベントを開催する責任といえるでしょう。現状、国のコロナ対策に関しては濃厚接触者を追うことする放棄しているので、そもそも事後報告が極めて難しい状況にあることも考慮すべきです。

◆個々のイベントを責めるのではなく、行政の対応を問うべき

フェス

※イメージです

 さて、「NAMIMONOGATARI」に話を戻すと、感染対策は徹底していると事前アナウンスをしたにもかかわらず、まったくされていなかった。しかも事後の謝罪文でも、「言われた事やったがうまくいきませんでした」という話に終始しています。つまりこれは、自分たちが企画した感染対策下でのイベントがすでに破綻していることを意味するわけです。

 また、主催者が、感染が急拡大する2021年8月にフェスを開催することに対してどのように考えていたのか、という説明はなされていません。主催者がどれだけ向き合えていたのか、僕ははなはだ疑問です

 この炎上によって僕が懸念したのは、他のイベントにもマイナスの波及効果が及ぶ可能性です。しかし、愛知県の大村知事は早々に「自治体との事前の約束が守られず、横紙破り的な状態であるため、同団体への場所の貸し出しは今後しない」という旨のコメントを出しながらも「きちんと感染対策をしているフェスやイベントはその限りではない」という態度をとりました。僕は、大村知事のこの素早い対応を非常に評価すべきだと思います。

 ちなみに大村知事は、「あいちトリエンナーレ 2019」の騒動の際も「行政は文化事業の内容には口を出さない」「補助金は事業の中身を検閲することなく払うもの」という態度でした。今回も大村知事は、ジャンルや音楽性といった内容に立ち入る話はしていません。

 世間ではヒップホップという大きな主語を使って非難する発言が非常に目立ちますが、実際には、あらゆるものはケースバイケースで向き合うべきであり、今回の大村知事がとった態度もしかり。その意味でも評価したいと思います。

◆開催する裏には、補償制度の不備がある

 世間にはイベントへのマイナス意見も多いですが、このタイミングで開催するのは補償がないからです。文化庁は昨年、「2021年にはコロナ禍がある程度収まっているだろう」という楽観的な展望のもと、イベントなど何かしらのアクションをおこした場合に補償をするというスキーム(ARTS for the future!)を作りました。

 このスキームは、中止よりも開催した場合の補償額のほうが大きく、また全面的な補償等がないため、現状に合った内容とは到底言えないものです。ちなみに、補償金というのは後払いであり、最初に負担するのは主催者なのです。

 そのため、大規模なイベントを開催するという判断も理解できます。その場合は用意されてるスキームに則って行うこととなる。行政の補償体制の遅れがこういったところにも響いているわけです。行政が国会を憲法違反状態でずっと開かず、自分たちがやりたい祭りを優先してきた結果、民間のイベントでこのような事件が起こってしまったことは、行政に大いに責任があると僕は改めて思います。「NAMIMONOGATARI」の件も、主催者に責任を全てかぶせる形でなかったことにするのではなく、行政がコロナ禍に立ち向かう姿勢を改めて問うべきでしょう。

◆フェスのあり方がわかる歴史的映像『サマー・オブ・ソウル』

 祝祭の機能について言及してきましたが、では本来の祝祭とはどんなものなのか? が気になった方には、8月27日から公開されているクエストラブ監督の『サマー・オブ・ソウル』という映画をおすすめします。

 この映画は、1969年のアメリカ・ニューヨークのハーレムで開催されたブラックミュージック及びラテン系のミュージシャンが大勢出演した「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」というフェスの映像を50年ぶりに蔵出しし、アミール・“クエストラブ”・トンプソン監督が再編集、さらに当時参加していたアーティストやお客さんのインタビューを交えて作り直した作品です。

 この約50年前の映像を2021年の今、映画として公開するクエストラブ監督のメッセージは非常に明確です。60年代のアメリカではベトナム戦争があり、そしてケネディ大統領やマルコムX、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアなど社会的影響力の強い人物が相次いで殺されるなど非常に荒れた状況でした。公民権運動があり、黒人の参政権も認められた直後でしたが、ニューヨークのハーレムの治安も良くなかった。

◆フェスの機能、そして“音楽の力”とは?

サマー・オブ・ソウル

『サマー・オブ・ソウル』

 そんななか、当時のニューヨーク市長であるジョン・リンゼイ氏という非常にリベラルな人物がOKを出したことにより、このフェスが開催されました。そうそうたる黒人やラテン系アーティストが出演し、毎回5万人もの人々が集まり、のべ30万人が参加したと言われています。

 そこでおこなわれたライブパフォーマンスももちろん素晴らしいのですが、こういった社会的背景や社会課題を共有したコミュニティの人々が、問題に対してどう向き合うのかという議題を音楽の力を使って表現する場として、フェスが提示されているのです

 また、「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」では“Black is Beautiful”や“Black Power”といった言葉が連呼されたのに対し、現在のアメリカにはBlack Lives Matter運動があり、50年を経たアメリカで当時提示されたテーマが、どれだけ解決されているのか? というメッセージも同時に読み取れます。この映画では、テーマ性や社会的・政治的な前提を持ったフェスの機能、そして“音楽の力”というものを非常に象徴的に提示されているのです

<TEXT/ダースレイダー 構成/阿形美子 撮影/山口康仁>

【ダースレイダー】

1977年パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、ラップ活動に傾倒し中退。2010年6⽉に脳梗塞で倒れ合併症で左⽬を失明するも、現在は司会や執筆と様々な活動を続けている。

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