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『青天を衝け』はこれからが面白い。実は資本主義の父じゃない渋沢栄一の生涯

bizSPA!フレッシュ / 2021年10月3日 8時46分

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画像は『青天を衝け』公式サイトより

 2024年に使用が開始される新しい1万円札の印刷が9月1日から始まりました。新1万円札は、渋沢栄一の肖像が描かれています。1万円札の肖像に渋沢が起用されることに関して、「日本の資本主義の父だから相応しい」との声がある一方で、「実業家が1万円札の顔になるなんて生々しく感じる」といった戸惑う声も聞こえてきます。

渋沢 1万円札

新たな1万円札の顔は渋沢栄一に(※財務省の公式ツイッターより)

 渋沢は生涯で500を超える企業を興したことから現代では資本主義の父と呼ばれます。しかし、実際には「資本主義」という言葉を好まず、本人は「合本主義」という言葉を用いていました。その理由を『渋沢栄一と鉄道』の著者・小川裕夫が解説します。

◆『青天を衝け』はこれから面白くなる

 2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は新型コロナウイルスの感染拡大により、撮影・放送スケジュールに狂いが生じました。その影響を受けて、今年の大河ドラマ『青天を衝け』は2月14日という異例のスタートになっています。さらに、2021年は東京五輪の中継も重なり、7月から断続的に5週間もの放送休止を挟むことになりました。

 放送回が少なくなったこともあり、ファンからは『青天を衝け』のストーリー展開が駆け足になってしまうのではないか? という心配も出ていました。

 江戸時代、武蔵国の富農として生まれ育った渋沢は優れたビジネスセンスで危機を乗り切り、大実業家の片鱗を見せます。しかし、本領が発揮されるのは明治以降になってからです。つまり、これからが『青天を衝け』の見どころでもあり、渋沢が大車輪の活躍を見せるのです

 そして、ようやく9月12日放送回から『青天を衝け』は静岡編へと突入しました。江戸時代までが近世、明治以降が近代と時代区分されるように、江戸と明治は社会が異なります。江戸と明治の大きな点は、なによりも国家体制にあります

◆パリでの経験が大きな財産に

『青天を衝け』

画像は『青天を衝け』公式サイトより

 それまで、徳川将軍家を頂点とする武士たちが政治を担い、身分制も明確でした。渋沢家は武蔵国(現・埼玉県)の農民でしたが、藍玉生産・販売などを手がけるなど幅広くビジネスをしていたこともあり、周囲の農民たちからは信望も厚く、苗字も許されています。渋沢は旧主の徳川慶喜を慕って静岡に居を移しています。

 富農だった渋沢は武家社会との接点もあり、ひょんなことから後に将軍となる一橋(徳川)慶喜に仕えます。しかし、慶喜は新政府へ政権を返上。新政府から謹慎を命じられました。幕府が倒壊した頃、渋沢は慶喜の命でフランスのパリに滞在していました。パリで、渋沢は株式取引や電気・上水道・鉄道などの公共インフラを体験。その経験が帰国後に役立つのです

 しかし、渋沢がパリから帰国すると、幕府は消滅していました。そのため、渋沢は慶喜を慕って静岡へと居を移します。慶喜は謹慎中だったこともあり、渋沢は徳川宗家を継いだ徳川家達に仕えることになったのです。静岡藩に出仕した渋沢は、旧幕臣と商人たちが力を合わせて産業を振興することを発案。それまでの身分制では、武士と商人は大きく立場が違います。それだけに、武士と商人が力を合わせるようなことは考えられません。

 これまでの旧習を引きずっていた静岡藩の武士たちは商人と一緒に作業することをよしとせず、一悶着が起きたようです。それでも、渋沢は持ち前のバイタリオティで武士と商人の間を取り持ち、困難を乗り切りました

◆「資本主義の父」と言われているが…

 渋沢は武士と商人が力を合わるためにコンパニー(=Company)という組織を立ち上げます。コンパニーは今でいうところの会社にあたる組織ですが、当時は会社という存在そのものがありません。

 会社運営に必要な理念も広まっていません。そこで、渋沢は合本(がっぽん)という思想を説くのです。当時の武士と商人が、渋沢の説くコンパニーや合本といった考え方をどれほど理解できていたかは判断できません。

 しかし、渋沢はわずかな期間で武士と商人の共同体制を築きました。これにより、静岡藩の財政は潤うのです。渋沢の手腕は明治新政府の耳にまで届くほどの大成功だったようです。

 現代日本において、渋沢は「資本主義の父」と形容されます。渋沢は生涯で500社以上の企業の創業や経営に関わっています。そうした理由から資本主義の父と呼ばれるわけですが、実のところ渋沢本人は“資本主義”という言葉を好まず、自身では1回も使ったことがないと言われています

◆資本主義と合本主義は何が違う?

資本主義

画像はイメージです

 渋沢が好んで用いたのは、前述の通り「合本」という言葉でした。『青天を衝け』の作中でも合本という言葉が出てきます。あまりクローズアップされてはいませんが、合本は渋沢の生き方を体現する言葉でもあります。

 資本主義も合本主義も、言葉が違うだけで意味するところは同じではないか? そんな指摘もあるでしょう。しかし、資本主義と合本主義とは言葉が異なるだけではなく、立脚点がまったく異なっています。

 資本主義は、言うまでもなく資本がメイン。ゆえに、資本を多く有する資本家を中心とする社会になります。資本家が中心になるので、金儲けが是とされ、金を生み出す仕組みが最優先にされます。そして資本主義は、「資本家が金で労働者を雇い、その労働力でさらに金を生み出すメカニズム」で、資本家の「もっとカネを稼ぎたい」という欲望が原動力です。

 他方、合本主義は「公益を追求する」という理念から出発しています。公益を追求するという理念を実現するには、事業に適した人材とそれに見合う資本を集めなければなりません。人(=労働力)だけでは事業を達成することはできませんが、資本(=金)だけでも社会をよくできません。両者が力を合わせてこそ、社会がよくなるのです。それが合本主義ということなのです。

◆「儲けたい」気持ちは否定しなかった

 ただし、渋沢は「儲けたい」と考える経済人の欲望は否定していませんでした。なぜなら、その欲望を否定することは経済そのものを否定してしまうからです。儲けたいという欲望が新たなビジネスチャンスを生み、それが社会を向上させていくと渋沢は考えていました

 例えば、井戸を掘れば水が手に入り、その水によって地域全体が水不足の心配から解放されます。しかし、水を得たいという欲望がなければ井戸を掘るという動機になりません。最初からみんなのために働くという気持ちだけで動ける人間はいないのです。だから、儲けたいという気持ちを否定せず、儲けた後にどう公益へとつなげるのかを考えるよう繰り返し説きました

 渋沢の代表作として知られる『論語と算盤』は、厳密には渋沢が執筆したものではありません。同書は、あくまでも講演を編者がまとめたものです。それでも、『論語と算盤』は渋沢の考え方を知ることができる書物として現代でも不朽の名著として読み継がれています。

 内容もさることながら、『論語と算盤』というタイトルは渋沢の思想をよく表しているといえるものです。算盤は、言うまでもなく経済のこと。金を稼ぐと言い換えてもいいでしょう。

 一方、論語とは道徳心や公共の精神ということになります。肝心なのは、算盤よりも論語が先になっていることです。タイトルでも、論語が上位概念であることを暗示しているのです。

◆岩崎弥太郎とはスタンスが異なっていた

渋沢

日本銀行の近くにある常盤橋公園に立つ渋沢像(筆者撮影)

 多くの企業を興した渋沢は、1931年に満91歳で没しました。当時の人としては、かなりの長寿といえます。渋沢は、50代に入った頃から企業の営利活動からは少しずつ離れていきました。そして、病院・学校・国際交流といった非営利活動へと傾斜していくのです。

 ちなみに、活躍した時期が重なることもあり、渋沢と比較されて語られることが多い人物として三菱財閥創業者の岩崎弥太郎がいます。あるとき、岩崎は力を合わせて日本経済界を共に支配しようと渋沢に持ちかけました。岩崎は「人の力を集めるのは時間がかかるし、1人で物事を進めれば判断は鈍らない」という専制主義を貫いていました。渋沢は、岩崎と事業へのスタンスが異なるという理由から、持ちかけられた話を断ります。

 岩崎弥太郎は、1885年に50歳で病没。後を継いだ弟の弥之助(2代目三菱総帥)、息子の久弥(3代目三菱総帥)、弥之助の息子の小弥太(4代目三菱総帥)などが財閥解体まで三菱を率いました。4代にわたって三菱財閥は、美術館や学校運営といった非営利事業の支援にも積極的に取り組んでいます。

 決して三菱が非営利事業に不寛容だったわけではありませんが、渋沢と比較してしまうと見劣りする印象が出てしまうのは仕方がないのかもしれません

◆600組もの非営利事業にかかわった渋沢

渋沢

王子・飛鳥山の渋沢庭園内に立つ渋沢像(筆者撮影)

 他方、渋沢は三菱とは異なり、美術館などを設立することがありませんでした。そのため、これまでは芸術振興には関心が薄かったと言われてきました。渋沢に関する資料は、東京都北区王子の渋沢邸内にあった青淵(せいえん)文庫に保管されています。それらの多くは関東大震災で焼失してしまったこともあり、後世の渋沢研究を困難になりました。

 それでも大河ドラマの主人公に抜擢され、1万円札の顔になることが決定したことで状況に変化が生じました。ここ数年間で渋沢研究は急速に、そして多角的に進んだのです。研究が進んだことにより、渋沢が芸術にも強い関心を示していたことが少しずつ解明されています

 合本主義を唱えた渋沢は、明確に資本主義とは一線を画していたことは間違いありません。しかも、後半生では非営利活動ばかりに取り組んでいました。それを物語るのが、非営利事業の数です。前述したように、渋沢が生涯に創業・経営に関与した企業は約500社です。対して、非営利事業は600組にもおよびます。実に、非営利事業のほうが100組も多いのです。

 そうした渋沢の後半生の評価が強まるにつれ、渋沢を資本主義の父と呼ぶような風潮は薄れています。最近では、後半生の活動を踏まえて「社会事業家」と呼ばれるようになっているのです。資本主義の父と呼ばれる渋沢ですが、それは渋沢を体現しているとは言い難い表現です。前半生は合本主義の父、後半生は公益事業の父と呼ぶのが適切なのかもしれません

<TEXT/小川裕夫>

【小川裕夫】

フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。首相官邸で実施される首相会見にはフリーランスで唯一のカメラマンとしても参加し、官邸への出入りは10年超。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)などがある @ogawahiro

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