「スパイダーマン」は休刊直前のマイナー雑誌が始まりだった

文春オンライン / 2019年5月12日 11時0分

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『スタン・リー ヒーローを創った男』(ボブ・バチェラー 著/高木均 訳)

 2018年11月。アメコミ界の巨匠、スタン・リーが亡くなった。直後に開催されたコミコンではスタン・リーの追悼モニュメントが飾られ、公開された映画『アントマン&ワスプ』『キャプテン・マーベル』には、彼への謝辞とリスペクトがちりばめられていた。

 95歳で亡くなった彼は、アメコミ黎明期から、その発展に貢献し続けてきた。若いうちから自らの文才を信じ始め、10代から出版社で勤務。「キャプテン・アメリカ」に関わることを皮切りに、ライターとしての仕事が増えていく。その後、「ファンタスティック・フォー」「ハルク」「アイアンマン」「スパイダーマン」「X-メン」「アベンジャーズ」など、多くのヒーロー作品を世に出していった。

 本書では、そうした著名キャラクターの創作秘話がふんだんに紹介されている。スパイダーマンのアイデアを実現したかったが、当時の経営者は難色を示す。そこでスタン・リーは、休刊直前のマイナー雑誌にスパイダーマンを紛れ込ませた。結果は大成功。今でもスパイダーマンは私たちの親愛なる隣人であり続けている。なお、当時は出版点数の上限もあり、ハルクが打ち切りとなった。スパイディ目線だと大躍進だが、ハルク目線だと暴れ出したくもなるだろう。

 とはいえ、スタン・リーのライター人生も、順風満帆だったというわけではない。ユダヤ系ルーマニア移民の父の築いた家庭は、しばしば貧困に苦しんでいた。第二次世界大戦時にはヒーローコミックも苦境に立たされ、スタン・リーも従軍を経験した。戦後アメリカでは、「有害コミック」を非難するモラルパニックが拡大し、マーベル作品もしばしば槍玉に挙げられた。米国立精神保健研究所からの依頼を受けて、スパイダーマンのストーリーにドラッグ防止のメッセージを取り入れたが、コミックマガジン協会が悪影響の方を懸念し、承認印をつけなかった。

 マーベル・コミックスは、何度も経営危機に直面している。時には編集長であるリーが、部下に引導を渡さなくてはならない場面もあった。賃金をめぐるトラブルも、分業を前提とするアメコミ業界ならではの、「誰が真の作者か」という史実をめぐる争いもあった。

 そうした困難を抱えながらも、スタン・リーはアメコミ界の顔として振る舞った。多作であるばかりでなく、メディアに積極的に露出して、アメコミの魅力を語り続けた。スタン・リーは、トークを通じて作品の魅力を伝えただけではなく、作品に深みを加えていった。創造主であるだけでなく、優れたコミュニケーターだった。

 豆知識が欲しいアメコミファンだけでなく、経営や労働に携わるすべての人に、「あなたもヒーローだ」と語りかけてくれる。想像世界だけでなく現実世界でも、「より高く」を目指せるのだと勇気付けてくれる。

Bob Batchelor/文化史を専門とし、ポップカルチャー、アメリカ文学、コミュニケーション史に関する著作、編集本を多数出版。マイアミ大学のメディア・ジャーナリズム&映画科で教鞭をとる。主な著書に『ジョン・アップダイク評伝』(未訳)など。

おぎうえちき/1981年、兵庫県生まれ。評論家、ラジオパーソナリティ。近著に『日本の大問題』、『いじめを生む教室』など。

(荻上 チキ/週刊文春 2019年4月11日号)

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