「たかが選手が!」 あの渡邉恒雄発言は日本プロ野球の何を変えたのか

文春オンライン / 2019年5月5日 17時0分

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渡邉恒雄氏 ©文藝春秋

 平成のプロ野球史を振り返ったとき、どうしても触れなければならない人物がいる。

 巨人の親会社、読売新聞グループの最高権力者として君臨し続ける渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役兼主筆(92)の存在だ。

 昭和9年(1934年)に当時の読売新聞社の社長・正力松太郎の手により発足した大日本東京野球倶楽部は昭和10年(1935年)に東京巨人軍と改称。戦後の昭和22年(1947年)に現在の読売ジャイアンツとなって現在に至るが、その間に実質的にこのチームの頂点に君臨した人物が3人いる。チーム創設の父だった正力松太郎と正力の死後、読売新聞社長に就任しその意思を継いだ盟友の務臺光雄。そして務台の死によって名実ともにグループのトップに立った渡邉だった。

 特にプロ野球が日本のトップ・オブ・スポーツに君臨していた昭和から、激動の時代に突入した平成時代は、様々な局面で渡辺が中心軸となって球界を動かす構図が作り上げられていく。あるときはプロ野球界選手会と組んでフリーエージェント制度の導入を推進し、一方ではドラフト制度の改革を掲げて一時的ではあったが逆指名制度の導入を実現したのも、渡邉主導の改革だった。

 そうしてその渡辺が当時の西武・堤義明オーナーと手を組み1リーグ制を目論んだのが、平成16年(2004年)に勃発したプロ野球再編問題だったのである。

発端は「オリックスと近鉄の合併」

 同年6月13日の日本経済新聞による「オリックスと近鉄が合併」というスクープを発端に、翌日には1リーグ制への移行が報じられるなど、選手やファンを蚊帳の外にした再編の奔流が球界を巻き込んだ。

 新聞紙上には連日、合併関連のニュースが流れ、6月末には堀江貴文社長(当時)が率いるライブドアが近鉄買収に名乗りを上げた。しかし各球団の理事による実行委員会ではなにも決定できず、その一方で選手への説明もないままにオーナーレベルで再編は着々と進んでいた。

 そんな中で世の中の空気を一変させたのが、渡邉の「たかが選手」発言だったのである。

「たかが選手」発言はなぜ生まれたのか

 7月8日。ナゴヤドームでの中日・ヤクルト戦の試合後だ。当時の選手会会長だったヤクルト・古田敦也が「オーナーと直接、話をする機会を持ちたいか?」と取材陣に聞かれてこう答えた。

「そうですね。いいですね。開かれた感じでいいと思います」

 古田の発言そのものは「できればいいですね」くらいの“希望”のニュアンスである。ところがこれを少し違ったニュアンスで伝え聞いた渡邉から、問題の発言が飛び出したのである。

 東京・大手町のパレスホテル内にある行きつけの料理屋で会食を終え、アルコールも入った渡邉が記者から受けた質問はこうだった。

「明日、代表レベルと選手会の意見交換会があるのですが、古田選手会長が代表レベルだと話にならないので、できればオーナー陣と会いたいと……」

 古田に質問した記者が、渡邉に質問をしているわけではない。デスク経由で古田の発言が渡邉を取材している記者に伝わり、かなり違ったニュアンスで投げかけられている。“希望”が“要求”という形で伝わったわけである。

 その結果、あの言葉が出てきた。

「無礼な! 分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」

 とっさにこの言葉がまずいと思ったのか、渡邉は切って返す刀で、こうフォローした。

「たかが選手といっても立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話すなんて協約上、根拠は一つもないよ」

 だが、ときすでに遅し、である。

「スポーツ紙記者のはめ取材」と批判するも……

 それが質問のせいだったのか、それとも渡邉の心の根っこに「たかが」という思いがあり、それが咄嗟に言葉となって出てきたのかは分からない。

 渡邉はのちにこのやりとりを振り返って、「スポーツ紙記者のはめ取材だった」と批判をしている。伝言ゲームのように伝わってきた古田の発言は、渡邉の元には正確に伝わっていたわけではなかったのも確かだ。

 ただこの伝言ゲームによって伝えられた言葉と、それに応じた渡邉の発言が、球界再編のその後の流れを大きく転換することになった。それだけは紛れもない事実だった。

「たかが選手」という言葉が翌日の新聞紙面に踊り、それをテレビの情報番組が一斉に取り上げた。元来の歯に衣着せぬ物言いと逆指名制度の導入など強引な手法に野球ファンからは渡辺に対する拒絶反応が強かったこともある。そうして渡邉は「世紀の悪者」(文藝春秋2004年12月号の本人手記より)となって、プロ野球ファンの怨嗟の対象となっていくわけである。

プロ野球史上初のストライキに発展

 もともとがスポーツビジネス、球団ビジネスという経営観念が欠如し、巨人戦の放映権料だけを頼みとした昭和の球団経営の歪みが近鉄の経営破綻という形で露呈。その中で巨人戦の放映権料の恩恵に預かれなかったパ・リーグの球団、特に西武の堤が、巨人戦という美味しい果実を求めて1リーグ制への移行を求めたという構図だった。

 もちろん経営サイドも単純な縮小ではなく、3軍制の導入による地方球団の創設などのビジョンも提示しており、そういう意味ではプロ野球が歩むべきもう一つの道を示していた部分もあった。ただとにかく選手を置き去りにし、何よりファンを蔑ろにした計画の進み方は世論の反発を招き、結局はそうしたビジョンが正しく検証される前に1リーグ制は世論という奔流に飲まれるわけである。

 最終的に経営側と選手会側の対立はプロ野球史上初のストライキという事態に発展したのちに、楽天の新規参入で2リーグ12球団制の維持という決着を見たのはご存知の通りである。

 そうして渡邉は“世紀の悪者”(文藝春秋2004年12月号掲載の本人インタビューより)として野球ファンの敵役となった。

物議を醸したもう一つの“問題発言”

 ただ渡邉には、この騒動の中でもう一つ、物議を醸した発言があり、その背景も記憶に留めなければならないと思っている。

「加盟できないんだよ。オレが知らない人は入るわけにはいかない。プロ野球というのは伝統がそれぞれ(の球団に)ある。金さえあればいいというもんじゃない」

 これは近鉄とオリックスの合併騒動の最中に買収に名乗りを上げたホリエモンのライブドアに対してこう言い放ち、公然と参入阻止を宣言したときのものだ。

 当時は近鉄とオリックスの合併阻止の“白馬の騎士”としてライブドアがもてはやされ、騒動の最中にトレードマークのTシャツ姿で藤井寺球場に応援に駆けつけるなど、堀江独特のパフォーマンスは、渡邉ら守旧派の対極にある経営者の姿として注目された。

もしライブドアの参入を認めていたら……

 その中で渡邉は野球協約の球団買収にはオーナー会議の承認が必要とされる規定を盾に参入阻止に動き、飛び出したのが前述の発言だった。

 実はこの時点で読売新聞社の社会部がライブドアの様々な不法実態を把握し、同社の球界参入は非常に危険なことを社内的に指摘していた。一部では堀江も身に迫る危険を察知し、社会的に影響の大きい企業を保有することで司直の手が入りづらくするため球団買収やその後のニッポン放送を通じたフジテレビの買収などに躍起となっていたという説もあった。

 水面下でそうした危険性を知った渡邉が、公然と違法活動の可能性を指摘できない中で語ったのが「オレが知らない人は」という発言だった。その結果、新規参入球団の審査でも楽天を選択する道筋を作ったというわけだ。

 騒動から2年後に粉飾決算などによる証券取引法違反で堀江が逮捕される「ライブドア事件」が勃発。もしあのときに世論の風のままにライブドアの参入を認めていたら……。

“世紀の悪者”渡邉恒雄の言葉が作った、もう一つの球界史でもある。

(鷲田 康)

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