『幸福なラザロ』――桜庭一樹のシネマ桜吹雪

文春オンライン / 2019年5月12日 11時0分

写真

©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE

 仕事で海外に行くとき、提出書類に“宗教”という項目があった。深く考えず“なし”を選んだら、編集者に「外国では無神論者=危険人物と思われるから“仏教徒”としたほうがいいかも」とアドバイスされた。なんらかの信仰を持つ人のほうが少数派なのは、日本の中だけのことなのかなぁと、改めて思った。

 わたしには特定の信仰はないけれど、キリスト教の幼稚園に通っていたころ、絵本で読んだ聖書の記憶が今もかすかに残っている。ノアの方舟や、鯨に飲まれた男ヨナの話。それに確か、神さまは、立派な人じゃなく、最も惨めで最も持たざる者の前にこそ現れるというお話もあったと思う。

 もうずいぶん前、自分がこの世で最も哀れな、とるに足らない、塵のような存在だと心から信じられる日があった。部屋の隅でガタガタ震えて泣いていたとき、自分のすぐそばに“誰かが立っている”という生々しくはっきりした感触を覚えた。後にも先にもあんなことはあれっきり。

 でも以来、キリスト教やイスラム教や仏教や……誰かが拠所とする信仰に、以前より敬意を払えるようになった。

 さて、この映画は、イタリアの小さな村での実話をもとにした、夢のような宗教的寓話なのだ。

 若い農夫ラザロは、侯爵夫人に雇われていた。だが、夫人は実は、小作人制度の廃止を隠して村人から搾取し続けていた。その事が発覚し、ラザロたちは村を出て慣れない都会で生活することに。

 苦労が続いた果てに、純朴なラザロは、最も惨めで最も持たざる者になっていく。

 教会から追いだされるラザロを、煙のように追いかける賛美歌。彼のすぐそばについに立った“誰か”。神の顕現により、死と生、幸福と不幸が対義語ではなくなるというラストに、わたしは「あのとき感じたことが映画になってる!?」という、極めて個人的な感想を持ちました。

INFORMATION

『幸福なラザロ』
Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開中
http://lazzaro.jp/

(桜庭 一樹/週刊文春 2019年5月16日号)

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