「ストレートは昔より速い」 神宮のスター・和田毅、38歳の変化と復活への道

文春オンライン / 2019年6月19日 11時0分

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今季、左肩痛を乗り越えて581日ぶりに一軍マウンドに帰ってきた和田毅 ©文藝春秋

 せっかくの神宮での交流戦なのにマウンドにその姿はない。

 和田毅の“凱旋登板”は実現しなかった。

 左肩痛を乗り越えて6月5日の中日戦で、一昨年の日本シリーズ第4戦以来581日ぶりに一軍マウンドに帰ってきた。さらに中6日で12日の阪神戦にも先発した。順当ならば、復帰3戦目は19日の神宮球場でのヤクルト戦になると思われた。

 そのマウンドでレギュラーシーズンでは2017年9月10日以来となる白星を手にする――なんと美しいストーリーなのかと勝手にワクワクしていた。しかし、13日に出場選手登録を抹消されてしまったのだ。

 故障再発ではなく「いろいろ考慮をして」(チーム首脳陣)とのこと。ホッと一安心と言いたいところだが、ならばチーム事情があるにせよもう1試合くらい我慢してくれても……というのが正直なところだった。

「プロなんて考えたこともなかった」高校時代から早大のエースになるまで

 和田は、プロになる前からスターだった。早稲田大学の大エース。プロ野球よりも古い歴史をもつ東京六大学野球リーグで、神宮球場のマウンドで歴代1位の476奪三振を記録した。

 島根・浜田高校では2度甲子園に出場して、3年夏には8強まで進出している。しかし、あの頃は「プロなんて考えたこともなかった」。開会式の時、同世代のスーパースターの松坂大輔に「おない年だったけど、敬語でお願いをして」一緒に写真に収まり、「これで一生の自慢になる」とほくそ笑んだらしい。今では笑い話だ。

 もちろん甲子園はあこがれだったが、和田にとっての神宮球場は負けないくらいの夢の舞台だった。

「中学生の頃から関東方面の大学に進学することを考えていたんです。父から早慶戦など、神宮球場で試合をする大学野球の話をよく聞かされていましたから」

 父・雅之さんは日本体育大学野球部の出身で、73年春の首都大学野球リーグで首位打者に輝いた好選手だった。

 浜田高校を選んだのも聡明な和田投手らしい、たしかな将来設計の上での逆算だった。もともとは違う高校への進学が決まっていたそうだが、その高校は指定校推薦の先が関西方面の大学が多かったために変更したという。

「あの頃の自分の実力を考えたら、野球強豪校に行って野球で推薦をとって大学に進むのは難しいと思った。勉強して一般受験で合格を目指すのも……うーん(苦笑)。勉強も野球も両方頑張って指定校推薦で進もうと考えた時に、浜田高校がベストだったんです」

 早大進学後にメキメキと力をつけた。聞けば、とにかく走りに走ったという。「大学2年生の時のゴールデンウィークが人生で一番走ったんじゃないかな」。朝9時から夕方5時まで走りっ放し。近頃の野球界では走り込みに否定的な意見も散見されるが、和田は「僕自身は走ることが大事と思ってやって来たし、しんどいことをやったという自負もある」ときっぱり言い切る。

 また、大学入学から投球フォームを科学的に分析して、「左腕の動きは意識をしていない。グラブを持つ右腕の使い方を工夫した」ことで、120キロ台しか出なかったストレートの球速が15キロ以上増した。

 その結果、とてつもない切れ味も生み出し、これが130キロ台でも空振りの取れるストレートを作り上げたのだ。

 '02年ドラフト自由枠で福岡ダイエーホークスに入団すると、1年目から189イニングを投げ14勝を挙げて新人王に輝いた。阪神と戦った日本シリーズ第7戦では完投勝利して胴上げ投手となった。今振り返っても、とてつもない黄金ルーキーだった。

 入団から5年連続二桁勝利。ホークスでは杉浦忠氏が記録して以来45年ぶりの快挙だ。まだ若くしてレジェンド級となった左腕は、'12年から4年間米球界でプレーをして、'16年にホークスに戻ってくるといきなり最多勝(15勝)を獲得してみせた。

復帰戦で見せたムキになって投げる姿

 今年2月21日で、和田は38歳になった。

 ホークスに復帰した頃から、よく「ワッチは昔と変わらんよね~」などと会話をするが、和田はきまって「そんなことないですよ。白髪だって増えました」などと笑って返してくる。ここ数年はそんなやりとりを繰り返している。

「ピッチングスタイルも変化していかないと。若い頃みたいにストレートでばんばん空振りをとれるわけではないから」

 いつの世だって若者は理想を追いかける。かつての和田もそうだった。

「真っ直ぐで三振をとれないと面白くない(笑)。当然、変化球での三振も面白いですけど、結局は真っ直ぐあっての変化球。あ、タイミング合ってないな。『ほら、どや!』『ハイ振った!』みたいな感じで(笑)。やっぱり真っ直ぐあっての自分ですから。それに今は高めは面白くなくて。高めは目の錯覚で空振りしちゃうこともあるんです。だけど、低めでの空振りは違う。これほど快感なものはないなと最近感じるんです」('11年1月のインタビューより)

 こだわりのストレートは、じつは球速だけを見れば若い頃より今の方が圧倒的に速い。復帰2戦目だった12日の阪神戦では145キロを計測している。だけど、和田は納得していない。たしかに、速いのに真っ直ぐで空振りが取れていない。投球フォームに修正すべきポイントがあることを彼自身自覚している。

 また、復帰登板を経て「自分自身のピッチングも変化していかないと」とも言った。5月下旬にファーム本拠地のタマスタ筑後で、同級生の松坂のピッチングを目の当たりにして感じた部分も大きいのだろう。

 だけど、思う。

 復帰初戦の初回の立ち上がり、ベテランらしからぬ力んだ表情で目一杯腕を振って勝負を挑んでいた。「あんなことやっちゃいけないんですけどね。だから中盤に球威が落ちた」。そして、黒星を喫した阪神戦では、前の打席で本塁打を打たれた梅野にさらに痛恨の2点適時打を許してしまった。

 プロは結果だ。本来間違っているかもしれない。それでも、ムキになって投げる和田の姿は見ていてちょっと嬉しかった。ほら、やっぱり、まだまだ若いじゃないか。

 梅野のタイムリーの場面はランナー二、三塁だった。四球で歩かせても良かった。だけど敢えて勝負に行ったのだ。その心意気だ。そんな和田を、思い出の神宮のマウンドがもっと後押ししてくれるのではと、期待していたのだ。

 和田の登板は実現しなかったが、ワセダの後輩である大竹耕太郎が20日のヤクルト戦で先発をする。「僕、大学時代に結構打ってるんですよ。確か2割5分くらいは。しかもプロに入った投手からも」。調べてみると4年間通算で60打数16安打、打率にして2割6分7厘。2年生春季リーグでは本塁打を放っていた。相手は立教大の右腕で現オリックスの澤田だった。「バントのサインで、相手守備が前進してきたらバスターだったんです。一塁手が突っ込んできたからバットを引いて思いっきり打ちにいったらホームランになっちゃいました(笑)」。今年の神宮交流戦の新しい楽しみが、とりあえず一つ見つかった。

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(田尻 耕太郎)

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