謎の古代宗教「マンダ教」の教団をイラクで訪ねた

文春オンライン / 2019年6月10日 11時0分

写真

アンマール師(左)と筆者

 メソポタミア文明が誕生した巨大湿地帯に、豪傑たちが逃げ込んで暮らした“梁山泊”があった! 辺境作家・高野秀行氏は、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点にあるこの湿地帯(アフワール)を次なる旅の目的地と定め、混沌としたイラクの地へと向かった。

 現在、「オール讀物」で連載中の「 イラク水滸伝 」では書き切れなかった「もう一つの物語」を写真と動画を交えて伝えていきたい。

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最も古い「イラク水滸伝」の民である

 イラクの湿地帯には2000年近く前からマンダ教という宗教の信者が暮らしていた。彼らの記録はひじょうに少なく、成立過程や歴史は謎に包まれているが、おそらくユダヤ教から分離した人々だろうと言われる。「死海文書」を書いた人々とも関係があるのではという説もある。

「自分たちが唯一の一神教」と標榜するがゆえにユダヤ教やキリスト教から激しい迫害を受け、パレスチナからトルコやイランの国境地帯を経由してAD3世紀にはイラクの湿地帯に逃げ込んだと考えられている。はっきりと血筋がつながっているという点では、最も古い「イラク水滸伝」の民である。

 2003年のフセイン政権崩壊後、ムスリムの過激派や差別主義者から殺人・強盗・拉致などの迫害もしくは犯罪行為を繰り返し受けた結果、今では全人口(推定数万人)の9割以上が国外に移り住み、国内には数千人しか残っていない。私たちはバグダードにある彼らの施設と儀礼の場所を訪ねた。

 ティグリス川沿いにあるマンダ教の施設を訪ね、アンマール師という若い司祭に話を聞く。司祭によれば、「マンダ教徒は古代メソポタミアで生まれた最初の人類である」という。

今でも当時のアラム語を儀礼に用いている

 マンダ教のシンボル「ダルフェッシュ」。十字に布をかけたものだが、キリスト教の十字架とは関係がない。マンダ教はヨハネを聖人として崇めているが、キリスト教の教えは否定している。

 マンダ教の聖典「ギンザブラ」を模したレリーフ。2000年前、中東世界の共通語だったアラム語で記されている。マンダ教は今でも当時のアラム語を儀礼に用いている。

 川辺に設えられた「マンディ」と呼ばれる聖なる家。かつて湿地帯で彼らが暮らしていた家と同じように、葦と泥でできている(現在でもこういう家は湿地帯にある)。マンディの前では一人の司祭が3時間以上も聖典の朗読を続けていた。

マンダ教徒はカモが好き

 マンダ教の司祭は自分で食べるものは全て自分で調理しなければならない。この日は、信者から寄進されたカモ(マンダ教徒はなぜかカモ好き)を屠る儀礼が行われた。カモは健康体でなければならない。また捌くナイフには「光の世界」に属す植物の葉がくくりつけられる。

 使用前のナイフを清めるための火を熾すアンマール師。儀礼が手順通り行われるのを見届けるため、常にもう一人「証人」が付き添っている。

 カモを屠る。まるで古代の世界を見ているようだが、向こう岸にはバグダードの町並みが見える。

司祭は聖なるティグリス=ユーフラテス川の水しか飲めない

 屠ったカモは調理室で料理する。テーブルの表面には湿地帯と同じ粘土が敷き詰められている。このテーブルは「聖なるもの」なので、一般人や異教徒は触れてはいけない。

 調理開始の儀礼として、カモの頭と尻を交互に火にかざす。今では現代的なガスコンロを使用しているが、火口にはやはり粘土が置かれている。あくまで彼らの本来の場所は湿地帯ということなのだろう。

 マンダ教の司祭は聖なるティグリス=ユーフラテス川の水しか飲めないため、全ての司祭は毎週、ここまで飲料用の水を汲みに来ている。

洗礼は毎週日曜日に行われる

 マンダ教で最も重要な儀礼は洗礼。キリスト教のそれと異なり、毎週日曜日に行われる。この日は海外に移住し、一時帰国中の人たちを中心に洗礼が行われた。儀礼が始まるまえに誓いの言葉を述べる。

 顔を覆った司祭が一人ずつ、信者の頭を押さえつけて、水に沈めたり、水を顔にかけたりする。

(「イラク水滸伝」本編は 『オール讀物』2019年6月号 で連載中)

写真=高野秀行

(高野 秀行)

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